武家屋敷: 田村又左衛門家住宅

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田村又左衛門家住宅・武家屋敷
【 大野城:概要 】 大野城は天正3年(1575)に金森長近によって標高250mの亀山山頂に築かれた山城です。本丸には2層3階の天守閣を中心に2層2階の小天守、天狗櫓などの施設が設けられ、複数の小さな郭が本丸を守っていました。江戸時代に入ると大野藩が立藩し、城の麓に二ノ丸を設けて藩庁と藩主居館が置かれました。大野城の城主は金森長近の後は青木秀以、長谷川秀一、織田信雄が入り、江戸時代に入ると福井藩領に組み込まれ藩主松平家の重臣土屋正明、小栗正高が入りますが、本藩の藩主乱心により大きく石高を減らし、大野城には松平直政が入封し大野藩を立藩します。その後は松平氏、土井氏が城主を歴任し明治維新を迎えています。

【 田村又左衛門家住宅:概要 】 当家は大野城の西側に縄張りされた三ノ丸の外堀沿いに位置しています。2代田村俊強は家老職を担った事で300石が安堵され上級武士の地位を確立しています。現在の建物は文政10年(1827)の大火で前の邸宅が焼失した為、農家建築を移築して武家屋敷に改修したもので外観は農家建築、内部は式台付の玄関や床の間や式台付きの座敷などを備えた武家屋敷となっています。建物は木造ずし2階建、切妻、桟瓦葺き(旧茅葺)、平入り、桁行8.5間、梁間6.5間、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、腰壁は下見板張り縦押縁押え。田村家住宅は大野城の城下町に残る数少ない武家屋敷の遺構として貴重な事から大野市指定文化財に指定されています。

【 場 所 】 福井県大野市

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