響忍寺(村松家・長屋門)

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響忍寺・村松家・長屋門
【 膳所城:概要 】 大津は京都と近江国の国境で琵琶湖舟運の拠点、交通の要衝だった事から近江国の軍事、行政、経済の中心になっていた所で戦国時代には明智光秀による坂本城が築かれ、坂本城が廃城になると大津城が築かれました。しかし、大津城は慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで戦場となり西軍の猛攻を受け落城した為、改めて新城が計画され、慶長6年(1601)に膳所城が築かれました。当時は大坂城(大阪府大阪市)に豊臣秀頼が健在だった為、東海道と中山道を押さえる必要があり、膳所城は藤堂高虎を中心に天下普請で行われ、大きく琵琶湖に張り出し、巧みに湖水を引き込み堀とし、四層四階の天守閣が琵琶湖に写り込む様から、松江城(島根県松江市)・高島城(長野県諏訪市)と共に日本三大湖城に数えられる名城となりました。城主は戸田家、本多家、菅沼家、石川家、本多家が歴任して明治維新を迎えています。

【 響忍寺・村松家・長屋門:概要 】 膳所城が築かれた当初、相模川が天然の堀に見立てられ大津側の防衛ラインとして想定された為、家老である村松八郎右衛門の屋敷が構えられ土塁などの防衛施設も設けられました。享保18年(1733)に屋敷内に響忍寺(山号:春台山・宗派:真宗大谷派・本尊:阿弥陀如来)が移され、引続き村松家が担った膳所城の防衛を引き継ぎました。長屋門は「膳所の六門」の1つで木造平屋建、切妻、桟瓦葺、外壁は白漆喰仕上げ、腰壁は下見板張縦押縁押え。膳所城の城下町に残る長屋門の中でも最大の大きさで格式の高さが窺えます。

【 場 所 】 滋賀県大津市

【 備 考 】 −