福井県・敦賀市・気比神宮

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【 概 要 】−気比神宮(福井県敦賀市)の創建は不詳ですが、はるか太古に伊奢沙別命(気比大神)が天筒の嶺に降臨したのが始まりと伝えられています。文武天皇の御代(697〜707)、勅命により社殿が建立され、大宝2年(702)に仲哀天皇と神功皇后の分霊が勧請合祀されました。延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳には名神大社に列し、北陸地方総鎮守、越前国一ノ宮として信仰を広めました。以来、時の為政者や歴代領主に崇敬され社殿の造営や社領の寄進が行われ広大な神領を有していました。建武3年(1336)には気比神宮の大宮司氏治は恒良親王、尊良親王を奉じた新田義貞と共に金ヶ崎城に入り北朝方の足利勢と戦い敗北し大きな被害を受け社領も大幅に削減されます。戦国時代越前国を掌握した朝倉氏から庇護された事で、越前に侵攻する織田信長(安土城の城主)と対立、元亀元年(1570)に朝倉氏と共に天筒山の城や金ヶ崎城に立て籠もりますが落城し、信長の越前平定が成ると社殿の破却や社領の没収などで気比神宮は衰退します。江戸時代に入ると福井藩主結城秀康に崇敬され、慶長19年(1614)には社殿を造営し社領100石が寄進、その後も福井藩(本城:福井城)や小浜藩から庇護されます。明治4年(1871)に国幣大社に列し、明治28年(1895)に官幣大社に昇格し当初は気比神社と称していましたが神宮号宣下の御沙汰を賜わって気比神宮と社号を改称しています。昭和20年の戦災により多くの社殿、社宝、記録などが焼失し、中でも本殿は慶長19年(1614)に結城秀康が造営した優れた建物として国宝の指定を受けていましたが粉塵に帰しました。気比神宮の大鳥居は戦災で焼け残った数少ない遺構の1つで正保2年(1645)に建立されたもので、春日大社(奈良県)、厳島神社(広島県)と共に日本三大鳥居の1つに数えられ、国指定重要文化財に指定されています。

気比神宮(敦賀市):周辺の見所

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