岐阜県・垂井町・南宮大社

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【 概 要 】−南宮大社(岐阜県垂井町)に祭神として祭られている金山彦命は、「古事記」や「日本書紀」にも登場する神様で、神産み神話ではイザナミの嘔吐物が化生した神として描かれています。名称から鉱山を司る神として、特に鉱山関係者や金属制作に携わる人達から信仰の対象となりました。「日本書紀」によると神武天皇東征で、河内の豪族と思われる長髄彦との闘いで苦戦している際に金色の霊鵄が天皇軍の味方した事が勝利の大きな要因となったと記載され、南宮大社に伝わる社伝によると、その金鵄を輔けたのが金山彦命とし、その功により美濃国不破郡府中に祭られるようになったと伝えられています。その後、崇神天皇(第10代天皇・在位:紀元前97年〜紀元前29年)の時代に現在地に遷座し、美濃国府から見ると南方に境内が位置する事から南宮大社と称するようになっています。奈良時代から平安時代に成立した六国史では神階が授けられた事が記載され、平安時代中期に全国の格式の高い神社が列記された延喜式神名帳では名神大社に名を連ね美濃国筆頭(美濃国一宮)に格付けられました。その後は歴代為政者や領主から信仰の対象となり度々祈願や祈祷が繰り返され、その都度霊験を発揮した事から平安時代末期には正一位勲一等に列しています。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いでは南宮山の山頂に西軍の主力の一つ毛利秀元、麓には安国寺恵瓊、吉川広家が布陣するなど戦場となり南宮大社の社殿もその兵火により大きな被害を受けています。本格的に再興されたのが3代将軍徳川家光の代で、その庇護により寛永19年(1642)前後に現在の社殿が造営され、18棟が国指定重要文化財に指定されています。特に神門(神社山門)は楼門形式の壮麗な造りで異彩を放っています。古くから神仏習合し、境内には仏教色の強い三重塔をはじめ複数の堂宇が建立されていましたが、明治時代の神仏分離令が発令されると、別当寺院だった神宮寺が近くに境内を移し「真禅院」と寺号を改め、それらの建物を移築し現存しています。これにより南宮大社は純粋な神社となり、国幣中社、後に国幣大社に列格しています。


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