群馬県・高崎市・高崎城

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【 概 要 】−高崎城は慶長3年(1598)、箕輪城主井伊直政が主君である徳川家康の命により和田城跡に移り築城したのが始まりです。高崎の地は三国街道と中山道の分岐点である交通の要所で軍事戦略上も重要視されました。直政は和田城を大幅に改修、本丸を中心に取り囲むように多くの郭や廓を配し二の丸、三の丸を梯郭式で構成する輪郭梯郭複合式の平城としました。高崎城の多くの建物は箕輪城より移築したとされ、完成には後に高崎藩主となる安藤家まで77年という月日を費やしました。高崎藩は井伊直政(12万石)、酒井家次(5万石)、戸田松平康長(2万石)、藤井松平信吉(5万石)、安藤家(重信・重長・重博:5万6千石)、大河内松平貞(5万2千石→6万2千石→7万2千石)、間部詮房(5万石)、大河内松平家(輝貞・輝規・輝高・輝和・輝延・輝承・輝徳・輝充・輝聴・輝聲:7万2千石→8万2千石)が藩主を歴任し高崎城は藩庁と藩主の居館として機能しました。高崎城は本丸の背後を烏川が流れ他の3方向のいは3重の堀と高い土塁で囲い天守閣の代わりとなる御三階櫓の他4方向にそれぞれ隅櫓が設けられました。高崎城の城門は16箇所設けられ本丸門、刎橋門、東門は平屋門で東門は通用門として使われていた為くぐり戸がついていました。明治維新後に廃城となり取り壊されましたが、乾櫓(土造2階建て、入母屋瓦葺き、桁行3間、梁間2間)と東門が移築保存され群馬県指定重要文化財に指定されています。又、本丸、二の丸は市街地化しましたが三の丸外堀と土塁が比較的旧状を留めていて高崎市指定史跡となっています。

高崎城(高崎市):周辺の見所

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