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 神社山門: 伊賀八幡宮

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伊賀八幡宮

伊賀八幡宮(愛知県岡崎市)
【 概 要 】−伊賀八幡宮は康平年間に源頼義が三河国井賀に創建した神社です。文明2年に松平親忠が現在地に遷座し、以来、松平家が崇敬庇護し社領の寄進や社殿の造営が繰り返されました。伝承によると織田信秀が三河国に侵攻し松平家が滅亡の危機に陥った際、戦勝祈願を行うと、突如天空が黒くなり数万の白い矢が織田軍に降り注がり敗走し九死に一生を得たと伝えられています。徳川家康をはじめ、歴代徳川将軍や岡崎藩主も引き続き庇護し社領540石が安堵されました。社殿は古建築物が多く、国指定重要文化財に指定されています。

【 場 所 】−愛知県岡崎市伊賀町東郷中

【 構 造 】−入母屋、檜皮葺、三間一戸、八脚楼門

【 備 考 】−伊賀八幡宮の当初の鎮座地とされる三河国井賀の地とはどこなのか良く判りませんでしたが、平安時代中期の承平年間(931〜938年)に編纂された辞書である「和名類聚抄」に古い地名として「額田郡位賀郷」との記載があり同地とされます。当時の額田郡は新城、鴨田、位賀、額田、麻津、六名、大野、駅家の8郷で構成され、平城京の跡地から「参河国額田郡謂我郷白米五斗」と記載された木簡が発見されています。位賀郷の位置は現在の岡崎市伊賀町とされる為、比較的近くに鎮座していたと思われます。

松平氏は元々賀茂姓だったとされ、家康が今川家から独立し三河国守の官位を求めるにあたり系図を創作し、以後「藤原家康」として口宣を行い、天正20年(1592)頃から源姓に改めています。これらの事実から察すると伊賀八幡宮を当地に遷座させた松平親忠の代は賀茂姓だった可能性が高く、賀茂姓であれば当然、賀茂神が氏神となる為、八幡神が氏神ではなかったと思われます。松平氏が賀茂姓という説は、松平家の発祥地である三河国賀茂郡松平郷(愛知県豊田市)は元々京都賀茂神社の荘園で、松平氏は神官や関係者、氏子だったとされ、神紋である葵紋を家紋として採用したなどが理由となっています(因みに徳川四天王の本多家も賀茂神社の神官家で葵を家紋としています)。

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