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 神社山門: 尾張大国霊神社

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尾張大国霊神社

尾張大国霊神社(愛知県稲沢市国府宮)
【 概 要 】−尾張大国霊神社は崇神天皇7年に創建されたと伝わる神社で、境内には古代の祭祀場とも言われる磐境が設けられています。近くに尾張国府が開かれた事から尾張総社として国の祭事を司り、格式も高く平安時代後期の延喜式神名帳にも式内社として記載されています。戦国時代には織田信長や豊臣秀吉、江戸時代には尾張徳川家から崇敬庇護され、社領の寄進や社殿の造営が行われています。楼門(神社山門)は室町時代初期に造営されたもので国指定重要文化財に指定されています。

【 場 所 】−愛知県稲沢市国府宮1丁目

【 構 造 】−入母屋、檜皮葺、三間一戸、八脚楼門

【 備 考 】−尾張大国霊神社の由緒上は、古代に尾張の地に移り住んだ入植者が当地の地霊を尾張大國霊神として奉斎したと記しています。由緒が正しければ境内近くにある下津遺跡群が縄文時代後期とされる事からその当時から信仰された事になり、本殿脇には磐境があり、見ようによっては環状列石に見え、規模や形式は大部違いますが同じく縄文時代後期の遺跡である大湯環状列石(大湯ストンサークル:秋田県鹿角市)を思い起こさせてくれます(後年造られたものかも知れませんが?)。後年、尾張大国霊神社の神官を務めた久田弥四郎元政は中島連弥四郎清嗣の孫で天背男命の後裔とする系図を持ち、秀守の代に「野々部」姓に、秀富の代に「橘」姓に改姓してます。天背男命は饒速日命の天降りに随伴した三十二人の防衛の一人とされ、別の由緒では大己貴命(一時期、尾張大国霊神社の祭神)が当地に出現した際、神官家の祖である天背男命と共に尾張国を開発した事から、その後裔が大己貴命の分霊を勧請し社を設けたのが始まりとされます。

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