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 神社山門: 城山八幡宮

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城山八幡宮

城山八幡宮(愛知県名古屋市千種区)
【 概 要 】−城山八幡宮境内は天正17年に織田信秀が築いた末森城の跡地で周辺には土塁や空堀の遺構が残されています。城山八幡宮が何時頃から祀られているのかは不詳ですが戦国時代には社殿の改修が行われ、江戸時代には尾張藩主、尾張徳川家の崇敬社として庇護され、社領の安堵や鳥居の寄進などが行われています。

【 場 所 】−愛知県名古屋市千種区城山町

【 構 造 】−向唐門、銅板葺、一間一戸、四脚門(左右脇門付)

【 備 考 】−末森城を築いた織田信秀は尾張国守護代織田家の庶流で清洲三奉行の一人でしかありませんでしたが、天文元年(1532)には主家である織田達勝や一族の織田藤左衛門と戦に及ぶなど独立志向が高く、その後、今川氏の持城だった那古野城(現在の名古屋城)を攻略し、天文8年(1539)には古渡城(名古屋市中区)を築き本拠を移しています。そして、天正17年(1548)に末森城を築くと、当時の戦国大名としては異例とも言える短期間に何度も本拠を移しています。信行は領土こそは限定的でしたが、要衝である津島や熱田を抑えていた事で経済的に周囲の諸大名より有利となり、主家にあたる尾張守護の斯波家や守護代の織田家を上回る勢力となり、独自外交により室町幕府とも関係を築きました。しかし、晩年は斎藤氏や今川家の台頭により守勢に回る事が多くなり、天文20年(1551)、又は天文21年(1552)に末森城で死没しています。家督は嫡男である織田信長が継、末森城には信長の実弟である織田信行(信勝)が入ります。しかし、兄弟仲はすこぶる悪く、弘治2年(1556)には重臣である林秀貞、柴田勝家等と共に謀反を企てましたが鎮圧、さらに弘治3年(1557)に再び画策したものの勝家が裏切った為、清須城で謀殺されました。末森城は城主を失い、その後も放置された為、何時しか廃城となっています。

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