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 神社山門: 岩木山神社

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岩木山神社

岩木山神社(青森県弘前市大字百沢)

岩木山神社(青森県弘前市大字百沢)

【 概 要 】−岩木山神社の創建年は不詳ですが、伝承によると宝亀11年(780)、信仰の山として知られる岩木山の山頂に社殿が建立されたのが始まりとされます。その後、現在の厳鬼山神社境内付近に遥拝所である下居宮が創建され、寛治5年(1091)に神の御告げにより現在地に遷座しました。中世以降は神仏習合し別当寺院として百沢寺が祭祀を司りました。江戸時代には弘前藩主である津軽家の崇敬社として津軽一之宮、津軽総鎮守と呼ばれ社殿の造営や社領の寄進が行われています。明治時代初頭の神仏分離令により百沢寺が廃され岩木山神社となっています。

【 場 所 】−青森県弘前市大字百沢字寺沢

【 構 造 】−入母屋、銅板葺、五間三戸、十二脚楼門・切妻、銅板葺き、一間一戸、四脚門

【 備 考 】−岩木山神社の歴史が明確になるのは室町時代末期に津軽家が台頭した以降の事で、それ以前の事は全く明らかではなく、現在伝わる由緒は江戸時代に成立したものとされます。その為、岩木山神社が何時頃に創建されたのかも皆目見当がつかず謎に満ちた神社とも言えます。東北地方に住む人々は蝦夷と呼ばれ中央から忌み嫌われ、朝廷に従属した後も俘囚として、強制的に見知らぬ土地に移住させられたり、貴族の奴隷になったりと差別的な扱いを受けていました。当然、東北地方を中心に多くの俘囚は蜂起し朝廷に対して何度も自分達の権利を主張しましたが、その都度反乱と決めつけ大軍を送り込み鎮圧しました。津軽の地は俘囚最後の砦で、鎌倉時代後期の文永5年(1268)に最後の抵抗である津軽大乱が発生しています。岩木山神社が鎮座する岩木山は秀麗な山容から蝦夷、俘囚の人達から信仰の対象になっていたと思われますが、それらの形跡は全くと言っていい程に遺構がなく、文献や伝説、伝承にも伝わっていません。逆に蝦夷を討伐した第一人者である坂上田村麻呂が父親である坂上刈田麿命を祭る祠を岩木山の山頂に設けた事を岩木山神社の創建とする由緒もあり、現在はその由緒を信じてる人も多いかも知れません。青森県内には地元神と思われる神が少なく、代わって多くが坂上田村麻呂を祭神として祭られています。自分達の神や信仰が失われ、敵方の大将を神として篤く信仰する、この現状は悲劇としか言えませんが、それを何も無かったように受け入れているのは東北人特有の寛容さなのかも知れません。日本神社100選

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