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 大瀧神社(福井県越前市大滝町)

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大瀧神社

大瀧神社(福井県越前市大滝町)

大瀧神社:概要

大瀧神社(福井県越前市)は太古の昔、大伴連大瀧と呼ばれる人物が国常立尊と伊弉諾尊の分霊を勧請して創建されたとされます。養老元年(717)に白山を開山した泰澄は、麓に平泉寺白山神社を創建、さらに、養老3年(719)に当地を訪れた際、大瀧神社の別当寺院となる大徳山大滝寺を開き、本尊として十一面観世音菩薩を迎えました。伝承によると、泰澄が当地を訪れた際、紫雲がたなびくのを見つけ、そこを訪れると、霊木と思われる大木が聳えていた事から霊地と悟りました。さらに、そこからは白山を望む事が出来た為、祈祷を行うと白玉が出現し、そこから国常立尊の化身と思われる童子現れ自分を人々を守護する存在であると告げて再び白玉に消えていったと伝えられています。以後、大瀧兒権現と呼ばれ大徳山大滝寺が祭祀を司る神仏習合の神社として信仰されるようになり、さらに時代が下がると平泉寺白山神社の末社(末寺)となりました。白山信仰の広がると共に社運も隆盛し、境内には多くの坊社が軒を連ねました。南北朝時代には足利氏の軍勢から焼き討ちに遭い衰退の憂いとなりますが、戦国時代には本社である平泉寺白山神社と共に越後守護職の朝倉家の庇護により再び勢いを取り戻しています。しかし、織田信長の越前朝倉攻めにより朝倉家が没落すると、庇護者を失い再び衰微します。江戸時代に入ると福井藩を立藩した結城秀康が篤く信仰した為、社殿が再建されています。明治時代の神仏分離令により、社号を大瀧神社に改めています。神門は平成4年(1992)に造営されたもので、切妻、銅板葺、正面軒唐破風、三間一戸、八脚単層門、回廊付。

平泉寺白山神社:概要

平泉寺白山神社は養老元年(717)に白山を開山した泰澄が山麓に白山神を祭る祠を設け、祭祀を司る為に平泉寺を開いたとされます。白山信仰が広がると、平泉寺白山神社が越後国から白山山頂を登拝する禅定道の拠点として発展し、諸大名からも一目される存在となりました。源平合戦や南北朝の動乱にも関わり、度々兵火により被害を受け室町時代には衰退を余儀なくされました。戦国時代になると領主である朝倉家の庇護により再び勢力を取り戻しましたが、織田信長(本城:安土城の城主)の朝倉攻めにより、朝倉氏が滅び、日頃から敵対いていた一向一揆衆からの襲撃を受けると、境内が悉く打ち壊されます。それでも、豊臣秀吉の許可を得て顕海が一応の再興を行い、さらに、江戸時代には歴代福井藩主松平の庇護を得て往時には及ばないものの、白山信仰の拠点としての景観を取り戻しました。明治時代の神仏分離令により、社号を平泉寺白山神社に改め仏教色は排されています。

大瀧神社:動画

平泉寺白山神社:動画

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