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 神社山門: 八槻都々古別神社

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八槻都々古別神社

八槻都々古別神社(福島県東白川郡棚倉町)
【 概 要 】−八槻都々古別神社は日本武尊が東夷東征で当地を訪れた際に創建した古社です。延喜式神名帳では名神大社として記載、室町時代には陸奥一宮として記載され格式の高い神社としても知れていました。中世は神仏習合し、別当寺院である大善院は周辺の山岳修験の拠点として重要視され、歴代領主からも崇敬庇護されました。戦国時代には周辺を支配した佐竹氏の庇護となり、明治時代には国幣中社に列しています。

【 場 所 】−福島県東白川郡棚倉町八槻大宮

【 構 造 】−入母屋、桟瓦葺、三間一戸、八脚単層門

【 私 論 】−都々古別神社は概ね5世紀頃に篤く信仰された現在の福島県白河市表郷三森に聳える建鉾山の祭祀施設が前身だったと考えられ、同じ白河市内には古代の関所である白河の関が設けられている事からも当時の大和王権にとってこの地域は、蝦夷が住む地域との境界線として重要視されていた事が窺えます。一方、現在の東北地方南部には4世紀に築造された古墳に大和地方の影響を受けた副葬品が発見された事例もあり、白河市周辺を境界線としつつも、4世紀には大和朝廷の影響力が何らかな形で浸透していたと思われます。

都々古別神社の祭神である味耜高彦根命は一見聞きなれない神名ですが、全国的に見れば多くの神社で祭られ、建鉾山の祭祀施設が東北最大規模で大和王権にとって重要な位置にある事からも地元の豪族や住民によるものではなく、王権の命により祭祀が行われた可能性がある事から決して地元神ではなく、王権の命により祭られた神と思われます。そして、建鉾山の祭祀施設を中心として、国境を守備する兵と開墾を目的として強制的に入植した多くの集団が国境周辺に集落を形成し味耜高彦根命を祭った事が考えられ、味耜高彦根命を主祭神とする都々古別神社や近津神社が現在の白河市や棚倉町、塙町、矢祭町に集中しているのはその事を示唆していると思われます(7世紀から8世紀には柵戸と呼ばれる、城柵の築造、維持管理、守備防衛を行う人々を全国各地から城柵周辺に入植させ、周囲を開墾させた。)一般的に馬場都々古別神社と八槻都々古別神社が本社格とされますが、元々は建鉾山の祭祀施設以外は各集落に設けられた遥拝所が前身で、上記の2社は後年、時の支配者に取り入り庇護を受けた事で大社に発展したと思われます。

陸奥国一宮を冠に掲げる神社は都々古別神社(棚倉町馬場・棚倉町八槻・石川町下泉)の他、宮城県塩釜市に鎮座する塩釜神社があります。現在、塩釜神社の祭神は塩土老翁神(主祭神)、武甕槌神、経津主神の3柱が祭られていますが、この3柱とする事が確立したのは江戸時代以降とされ、それ以前は味耜高彦根命が祭られていたとの説があります。正徳2年(1712)頃に制作された「和漢三才図絵」によると「陸奥の鹽竃六所大明神 在千賀浦 祭神一座 味耜高彦根命」とあり、全国に点在する塩釜神社には味耜高彦根命を祭る例も見られます。これられの事から、陸奥国が立国し多賀城に陸奥国府が設置されると地元神だった塩釜神を味耜高彦根命に転化し陸奥国一宮として祭った可能性があります。古代では、地元出身のはずの豪族が系図上は天皇の子孫とされ、地元神は何時の間にか天皇縁の神に転化する例が数多く見られ、塩釜神社もその一つと思われます。都々古別神社に何故、味耜高彦根命が祭られるようになったのかは判りませんが大和王権側に何らかな意図があったようです。日本神社100選

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