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 神社山門: 大矢田神社

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大矢田神社

大矢田神社(岐阜県美濃市)

大矢田神社(岐阜県美濃市)

【 概 要 】−大矢田神社の創建は孝霊天皇の御代に村人が建速須佐之男命と天若日子命の分霊を勧請し祠を建立したのが始まりとされます。古くから神仏習合し、別当寺院は養老2年(716)に泰澄大師が創建した天王山禅定寺が祭祀を司りました。戦国時代の兵火により焼失しすると禅定寺は廃され、禅定寺の坊だった極楽坊と常泉坊が再興されました。明治時代の神仏分離令により仏教色は一掃され大矢田神社に改められました。

【 場 所 】岐阜県美濃市大矢田

【 構 造 】−入母屋、檜皮葺、三間一戸、八脚楼門・切妻、檜皮葺、一間一戸

【 備 考 】−大矢田神社に伝わる伝承によると、孝霊天皇(第7代天皇)の御代に深山に竜が巣食い、村に降りて度々悪行を働いた為、困り果てた村人は相談して喪山に祭られている天若日子命に祈願すると建速須佐之男命を祀り祈願するようにとの御告げがありました。早速、村人は建速須佐之男命の分霊を勧請し祈願すると建速須佐之男命化身が出現し、竜を退治した事から、村人は神意に感謝し、建速須佐之男命と天若日子命を祭る大矢田神社を創建したと伝えられています。

天若日子命は記紀の葦原中国平定神話で登場する神で、最初に葦原中国に派兵された天穂日命の連絡が取れなくなった為、2番手として派兵されました。しかし、天若日子命は葦原中国の主である大国主の娘下照姫命と懇意となり仲良く暮らし当初の目的を忘れてしました。一向に連絡をよこさない事に激怒した天照大神と高皇産霊神は雉の鳴女を派遣してその真意を確かめさせると、天若日子命は天探女に従い雉の鳴女を射抜ました。打ち抜いた矢は高天原まで達した為、天若日子命に反乱の意を感じた高皇産霊神は「天若日子命が高天原に敵対する意思があるのであれば、天誅が下るように。」と念じ葦原中国に向かって射返しました。すると、寝ていた天若日子命の胸に矢が突き刺さり絶命してしまいました。下照姫命が嘆き悲しむと、その声を聴いた天若日子命の父神である天津国玉神が葦原中国に下り葬儀の為に喪屋を建て八日八夜の殯をしました。葬儀には下照姫命の兄である味耜高彦根命も参列しましたが、余りにも天若日子命に似ていた為、天津国玉神とその妃神は天若日子命が生き返ったと勘違いして抱き着いてしまいました。すると、味耜高彦根命は死人に間違われた事を怒りに感じ、喪屋を神剣で薙ぎ払い、蹴り飛ばしてしまいました。美濃の藍見の喪山がその喪屋だとされます。

現在、喪山には喪山天神社が鎮座し大矢田神社境外摂社となっています。

岐阜県の神社山門
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