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 神社山門: 吾嬬神社

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吾嬬神社

吾嬬神社(群馬県中之条町山田)
【 概 要 】−吾嬬神社は大同元年(810)に坂上田村麻呂が吾嬬山頂に日本武尊を祭る祠を設け創建した古社です。その後、冬季の吾嬬山への登拝が大変だった事から当社である里宮が設けられたと思われます。永正2年(1505)には山頂の奥宮から御神体(神像)が移され名実共に吾嬬山信仰の中心的存在となりました。古くから神仏習合し明治時代の神仏分離令により神社となりましたが、境内には随神門(旧仁王門?・神社山門)が残され、社殿には現在でも薬師如来座像が安置されています。

【 場 所 】−群馬県吾妻郡中之条町山田

【 構 造 】−切妻、銅板葺、三間一戸、八脚単層門

【 備 考 】−日本書紀によると日本武尊が碓日嶺(碓氷峠:群馬県安中市松井田町坂本と長野県北佐久郡軽井沢町との境にある峠)に差し掛かった際、穂積氏忍山宿禰の娘で妃ある弟橘媛が海神の怒りにより暴風で沈没する寸前に海に身を投げ救った事を思い出し、「吾妻はや(我が妻よ)」と嘆いたことが地名「吾妻」の由来になったと記されています。

一方、当地に伝わる伝承によると、日本武尊の妃は上野国造の祖神である豊城入彦命の曾孫である上妻媛命、又は上毛野国(現在の群馬県)で一番の富豪上野長者高豊の娘である上野姫(上妻姫:東国一の美女)とされ、鳥居峠(長野県上田市と群馬県吾妻郡嬬恋村の境にある峠)で、別れを偲び「吾妻はや(我が妻よ)」と嘆いたことが地名「吾妻」の由来になったと伝えられています。

吾嬬神社:動画

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