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神社山門: 駒宇佐八幡神社 |
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駒宇佐八幡神社 |
【 概 要 】−駒宇佐八幡神社は貞観元年に行教によって創建された神社です。江戸時代に入ると歴代三田藩主から崇敬庇護され、長床や本殿が再建されています。本殿は江戸時代中期の建物で三田市指定文化財に指定されています。例祭で奉納される「百石踊り」は室町時代に雨乞い祈祷を起源とするもので、古式を伝える行事として貴重な事から兵庫県指定無形民俗文化財に指定されています。
【 場 所 】−兵庫県三田市上本庄 【 構 造 】−切妻、銅板葺、三間一戸、八脚単層門・切妻、桟瓦葺き、長床形式 【 備 考 】−駒宇佐八幡神社の由緒は江戸時代中期の天和年間(1681〜1683)に成立した事から事実かどうかは不詳です。その由緒に従えば行教が宇佐八幡宮(大分県宇佐市南宇佐)の八幡大神を山城国男山鴿ケ峯(京都府八幡市八幡高坊:現在の石清水八幡宮)に遷座しようとし当地の近くを通過した際、霊気に満ちた地であった為に雲の隙間から光明が差しました。すると白馬に乗った八幡大神が天から降り鎮座すると、大音響と共に旗が流れ落ちてきました。八幡大神は里人に対し、私はあなた方を救う為に宇佐より此処に参り、住みたいと思います。と告げました。里人は御告げに従い社殿を造営し奉斎したと伝えられています。 駒宇佐八幡神社を創建したと伝わる行教は前半生は不詳で、行表や宗叡に師事したとされ、天安2年(858)に真雅の推挙で惟仁親王(清和天皇)の即位を祈祷する事となり宇佐八幡宮へ派遣される事になりました。行教が祈祷する前に惟仁親王は天皇に即位しましたが、貞観元年(859)に今度は天皇守護の為に祈祷を行う事となり宇佐八幡宮に90日間参篭、その際八幡神から神託があり、それに従い貞観2年(860)に八幡神の分霊を護国寺の境内に勧請し石清水八幡宮を創建しました。駒宇佐八幡神社の由緒は行教の事跡を倣ったものと思われますが、創建年とは30年程ずれがあります。
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