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 神社山門: 宇那禰神社

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宇那禰神社

宇那禰神社(宮城県仙台市青葉区)
【 概 要 】−宇那禰神社は何時頃から信仰されたのかは判りませんが、現存する棟札で最古のものは福徳元年(1490)が見られる事から少なくともこれ以前に創建されていたと思われます。中世は当地方の支配者である国分氏の重臣郷六氏が氏神として庇護しました。慶長14年(1609)に現在地に遷座しています。本殿は江戸時代に再建されたもので仙台市指定文化財に指定されています。

【 場 所 】−宮城県仙台市青葉区芋沢明神

【 構 造 】−入母屋、鉄板葺き、三間一戸、八脚単層門

【 備 考 】−社号の「宇那禰」から何とも曰く付きの神社のような印象を受けますが、創建年などは不詳、現在残されている軒札から中世は長沼氏や長沼氏から派生したと思われる郷六氏により庇護されていた事が窺えます。当社の由来は判りませんが、同音の「宇那根」は用水路の根元を意味する事から用水の守護神、又は洪水鎮護の神として祭られている例が見られ、何れにしても水神だったようです。

鎌倉時代後期から室町時代初期に描かれたと推定されている「中尊寺領骨寺村」の絵図でも「宇那根社」が見られ、岩手県や宮城県では「ウンナン」を鰻として神格化する民間信仰が存在したようです。確かに、旧境内地である郷六は広瀬川とその支流に囲われている事から、ウナネ神(水神)が祭るには相応しい土地だったかも知れません。

一般的には宇那禰神社は長沼氏、又は郷六氏の氏神として創建されたように考えらているようですが、個人的にはウナネ神が元々地元神として祭られていた可能性もあると思います。

長沼氏は平将門の乱を平定した藤原秀郷の後裔の一族とされる小山政光の2男宗政が下野国芳賀郡長沼(現在の栃木県真岡市長沼)に配され「長沼」姓を名乗たのが始まりですが、その一族が当地に下向した時期は不明。一説には長沼氏が没落した国分氏の名跡を継いだとも、国分氏の婿養子に入ったとも云われていますが、同時期の客観的な資料はありません。

しかし、宇那禰神社の棟札には度々長沼姓が見られる事からも少なくとも室町時代には当地に土着していた事が窺えます。郷六氏は長沼氏や国分氏から派生したと推定され、戦国時代には国分氏の家臣として名を連ねています。居城である郷六城の隣地には宇那禰神社の旧地があり棟札にも名が連ねている事からも深い関係にありました。

郷六氏は安土桃山時代に主家である国分氏が没落すると、姓を「森田」に改め伊達家の家臣となり江戸時代に入ると愛子周辺の領地が与えられ宇那禰神社も現在地に遷座しています。

宇那禰神社:動画

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