長野県の神社山門1

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名 称
建築年
内   容
場 所
備考
・戸隠神社 戸隠神社は孝元天皇5年又は嘉祥2年、天武天皇13年、持統天皇5年など諸説あり確定していませんが、古くから格式の高い神社として知られていました。平安時代後期以降は神仏習合し戸隠山勧修院顕光寺が別当寺院として大きな信仰を集め比叡山、高野山と共に「三千坊三山」とも呼ばれる程に繁栄しました。戦国時代に入ると当地区が上杉領と武田領の境界付近にあった為、度々戦乱に巻き込まれ、境内も荒廃しました。江戸時代に入ると社領1千石が安堵され再興され、往時には及びませんでしたが、戸隠神社の門前町には多くの信者や参拝者が訪れ活況を呈したようです。明治時代初頭に発令された神仏分離令により神社に復し社号を「戸隠神社」に改めています。・長野県
・長野市
・北西部
 
・筑摩神社 筑摩神社は延暦年間に坂上田村麻呂が石清水八幡宮の分霊を勧請し創建した古社です。境内に程近い場所に信濃国(現在の長野県)の国府が設置された事から国司などから崇敬の対象となり国府八幡宮と呼ばれるようになり、以後、歴代領主から信仰されるようになります。江戸時代に入ると歴代松本藩主から庇護され石川康長が拝殿を造営しています。・長野県
・松本市
 
・松本神社 松本神社は寛永13年(1636)に松平孫六郎永兼を祭った暘谷大神社として創建しました。当初は明石城の城内に鎮座していましたが、松平家が移封する毎に随行し享保11年(1726)に松平光慈が松本藩に移封になると当地に遷座しました。その後、多くの神社と合祀し、昭和に入り若宮八幡宮を合祀した事を受けて社号を「松本神社」に改めています。・長野県
・松本市
 
・小内八幡神社 小内八幡神社は貞観年間に創建された古社で、延喜式神名帳に式内社として記載されるなど古くから格式の高い神社として知られていました。中世に入ると周辺を支配した高梨家から崇敬庇護され社領の寄進が行われ、その後も歴代領主から崇敬庇護され社運も隆盛しました。・長野県
・中野市
 
・鳩ヶ嶺八幡神社・江戸中期鳩ヶ嶺八幡神社は康平5年(1062)に創建した古社です。中世は信濃国守護職を担った小笠原家は源氏の後裔だった事から篤く信仰し社殿の造営などが行われています。江戸時代に入ると歴代飯田藩主から庇護され、藩主脇坂安村が現在の本殿を寄進しています。本殿、随神門(神社山門)は飯田市指定文化財に指定されています。・長野県
・飯田市
・八幡町
市指定
・小菅神社・17世紀小菅神社は白凰年間に役行者により創建された古社です。大同元年には坂上田村麻呂により社殿が造営され境内が整備されています。中世に入ると熊野修験の修行場として発展し戸隠神社、飯綱神社と共に北信濃三大修験場に数えられ程に繁栄しています。戦国時代には上杉家から崇敬庇護されますが、川中島の戦いなどの兵火により大きな被害を受け、庇護者である上杉景勝が会津に移封となった為に衰微します。小菅神社は江戸時代に入ると再興されたものの、往時には及ばなかったとされます。・長野県
・飯山市
・小菅
 
・新海三社神社 新海三社神社は佐久地方の惣社として信仰されてきた神社で、源頼朝が社殿を修築した伝承が残り、武田信玄の戦勝祈願の願文が残されています。新海三社神社境内には数多くの古建築が建立されており、中でも三重塔と東本社は国指定重要文化財に指定されています。・長野県
・佐久市
・田口
 
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長野県1鳩ヶ嶺八幡神社
長野県2八幡神社刈谷沢神明宮

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