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 神社山門: 有明山神社(安曇野市)

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有明山神社・神社山門:写真

有明山神社(長野県安曇野市)

有明山神社(安曇野市):概要

有明山神社長野県安曇野市)は背後に聳える有明山を御神体とする神社です。有明山(標高:2268m)は山容の美しさから信濃富士の別称があり、中腹から山頂にかけては奇岩怪石が複数点在し、水源地の一つにもなっていた事から古代から現在に至るまで霊山として信仰の対象となりました。当初は素朴な自然崇拝だったようで、麓に点在する村々には「拝み」と呼ばれる遥拝所が設けられました。年代は不詳ですが、戸隠神社(長野県長野市)の影響を受け、戸隠山と同様に天岩戸伝説が有明山にも流布されています。有明山は歌枕の地としても知られ、西行法師(平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士・僧侶・歌人)は「信濃なる有明山を西に見て 心細野の道を行くなり」、藤原定家(鎌倉時代初期の公家・歌人、小倉百人一首の撰者)は「てりかはる紅葉をみねの光にて まつ月細き有明の山」、後鳥羽院(第82代天皇)は「かたしきの衣手寒く時雨つつ 有明の山にかかるむら雲」などが詠まれています。江戸時代中期の享保9年(1724)に松本藩の藩主の命により編纂された領内の歴史・地理を纏めた「信府統記」によると平安時代初期の大同2年(807)に征夷大将軍である坂上田村麻呂が八面大王を成敗する為に当地まで進軍した際、有明山神社に武運長久を祈願し宝剣を奉納した事が記されています。有明山の山中には魏石鬼岩窟があり、案内板によると「 魏石鬼八面大王という鬼がたてこもったと伝えられる。この岩は巨大な花崗岩で組立てられた穂高町有数の古墳(横穴式石室)である。考古学者鳥居瀧蔵博士は全国的に珍しい古墳であると推奨した。 長野県・穂高町」とあります(筑摩神社には八面大王の首塚があります)。享保6年(1721)には修験道の高僧として知られる宥快が有明山を登拝し開山、本格的な修験の山として整備され、山頂の中岳と南岳には有明山神社の奥宮、北岳には松川村に鎮座する有明山社の奥宮が設けられました。現存する資料から察すると江戸時代中期に宥快によって初めて有明山が開山した事になりますが、伝承に戸隠神社の影響を受けている事から平安時代から中世には何らかな信仰施設があり修験道が行われていたものの、その後衰退したと考える方が自然と考えます。宥快が開山した以降は庶民の行楽思考の向上などもあり、多くの信者や参拝者が登拝したとの記録があるものの明治時代の神仏分離令と修験道廃止令により一時荒廃、その後、旧豊科町寺所出身の敬神家岡村阜一氏が再興を果たし、現在地に里宮となる有明山神社の社殿を造営しています。毎年7月中旬には奥社祭が行われ、一般から募集を募り有明山の山頂を目指し登拝します。

有明山神社の神社山門は明治35年(1902)の建築で「裕明門」の別称があり、同じく境内に建立されている手水舎と共に平成20年(2008)に安曇野市指定文化財に指定されています。

長野県の神社山門
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諏訪大社上社本宮鉾持神社(高遠城)有明山神社八幡神社小内八幡神社鳩ヶ嶺八幡神社
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