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 生島足島神社(塩田平)

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生島足島神社・神社山門:写真

生島足島神社(長野県上田市・塩田平)

生島足島神社(上田市):概要

生島足島神社長野県上田市)が何時頃から信仰を始めたのかは判りませんが、信濃国一宮である諏訪大社の創建以前から当地に祭られていたとされます。生島足島神社に伝わる社伝によると、諏訪大社の祭神である建御名方富命が出雲(現在の島根県)で国譲りの際、建御雷神に敗れ諏訪に向かう途中に当地を訪ね生島大神(万物を生み育て生命力を与える神)と足島大神(国中を満ち足らしめる神)の接待を受けたとの伝承が伝えられています。生島大神と足島大神は当地の地元神だったと推定される一方で科野国造の多氏が宮中(神祇官西院で祀られる神23座に記載有)から勧請したという説もあり、多氏の一族とされる金刺氏が諏訪大社下社(長野県下諏訪町)の大祝家を歴任した事から関係性が窺えます。平安時代に書かれた法制書である「新抄格勅符抄」には大同元年(806)に生島足島神に神戸1戸が与えられている事が記され、同じく平安時代後期に成立した延喜式神名帳には生島足島神社が格式の高い名神大社だった事が記載されています。天皇が都を定められる時には、必ず生島大神と足島大神の2神に鎮祭されるなど古くから格式の高い神社で特別視されていたと思われます。中世に入ると塩田平を領地としていた塩田北条氏(鎌倉幕府執権北条氏の有力一族)が篤く帰依し、戦国時代に武田領になると武田信玄(躑躅ヶ崎館の城主)の帰依を受け川中島の戦いの際には戦勝祈願が行われています。武田家が滅び真田領になると、真田家(上田城に進出し塩田平も所領)が庇護するようになり、真田信之が諏訪社本殿及び門を造営しています。

生島足島神社の摂社である諏訪社の神門は江戸時代初期の慶長15年(1610)に上田藩主真田信之により造営されたもので、特に諏訪信仰の神社で用いられる事が多い「御門屋」の形式を踏襲しています。「御門屋」の形式の神門の中では長野県最古とされ平成14年(2002)に長野県の県宝に指定されています。

生島足島神社の境内がある地域は塩田平と呼ばれる地域で、特に鎌倉時代に塩田北条氏が領して領内開発に尽力した事から塩田北条氏縁の神社仏閣が数多く点在しています。特に別所温泉(長野県上田市別所)の温泉街には安楽寺常楽寺北向観音などがあり「信州の鎌倉」と呼ばれています。別所温泉の周辺には未完の三重塔(国指定重要文化財)で有名な前山寺や、茅葺屋根の薬師堂(国指定重要文化財)で有名な中禅寺、塩田北条氏の菩提寺である龍光院などもあり当時の塩田平の繁栄が窺えます。

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