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 神社山門: 魚沼神社と弥彦神社

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魚沼神社

魚沼神社(小千谷市)と弥彦神社

弥彦明神:概要

魚沼神社新潟県小千谷市)の創建等は不詳。歴史が明確になるのは室町時代からで、当地の地頭と思われる西片光行が鰐口と懸仏を奉納し何れも銘に寄進者と年号が刻まれています。特に鰐口の銘には「弥彦大明神」と刻まれおり、少なくとも室町時代には弥彦神社と呼ばれる存在だった事が判ります。祭神も天香語山命と、弥彦村に鎮座する弥彦神社と同じで、格式から察すると弥彦神社から分霊を勧請したと思われますが、江戸時代での当社の神官は、当地こそが弥彦明神が越後国に最初に降臨した地で、阿彦を祭る社であると主張した事が江戸時代後期に編纂された「北越雑記」に記されています。この神官の主張が正しいとすると、元々は阿彦を主祭神とする神社だった事が推察されますが、阿彦とはどの様な人物だったかというと、垂仁天皇の時代に現在の富山県を本拠とする豪族で高志国(現在の北陸地方から新潟県)に大きな版図を築いた後に、反乱を起こし朝廷が大若子命(大幡主)を派遣して粛清したとされます。広い意味では鎮座地である小千谷市も高志国の一部だったのかも知れませんが、何故、当地に阿彦を祭ったのかは判りません。しかし、朝廷の反乱者だった阿彦を主祭神とするには具合の悪い点も多い事から、後年に天香語山命を主祭神に改め弥彦神社を称し(阿彦と弥彦で都合が良かったのも?)、正当性を主張する為に弥彦明神(天香語山命)が越後国に最初に降臨した地と主張するようになったのかも知れません。その後の資料にも多少の表現に違いはあるものの「○弥彦○○」でしたが、安永9年(1780)に突如として平安時代に成立した延喜式神名帳に記載されている魚沼神社である事を主張し始め、古志郡に鎮座する三宅神社の神主である星野大内蔵を証人として連れ立って京都に上り吉田家から、魚沼神社の社号を掲げる事を許されています。何故、当社が魚沼神社を主張し始めたのかは謎ですが、現在、魚沼神社の論社は魚沼神社(湯沢町神立・祭神:天児屋根命、誉田別尊、中筒男命)、坂本神社(南魚沼市大倉・祭神:天津彦火瓊瓊杵命、木花開耶姫命、彦太忍信命、紀ノ白絲姫命、国狹槌尊)、坂本神社(南魚沼市宮・祭神:瓊瓊杵尊、木花之開耶姫)、八幡宮(南魚沼市八幡・祭神:大国主神、猿田彦命、多紀理毘売命、狹依毘売命、多紀津毘売命)、伊米神社(小千谷市桜町・祭神:天香語山命)と複数存在し、何れも魚沼神社である明確な根拠は無いようです。祭神を比べても共通点は少なく良く判りません。

魚沼神社は神仏習合し、本地仏である阿弥陀如来は奇しくも弥彦村の弥彦神社と同じで、神宮寺だった池源寺が祭祀を司っていました。現在、境内に残されている阿弥陀堂は池源寺(後継寺院は同市の慈眼寺)が所管していた施設で神仏習合の名残が見られます。神社山門は黄檗宗の寺院の山門のように、本屋根の左右に一段低い小屋根を設けている形式で、随神が安置されています。

新潟県の神社山門
旦飯野神社(笹岡城)諏訪神社(新発田城)蒼柴神社(長岡城)藤基神社(村上城)弥彦神社
魚沼神社(弥彦神社)
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