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 神社山門: 弥彦神社

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弥彦神社

弥彦神社(新潟県弥彦村)

弥彦神社の祭神の謎

弥彦神社新潟県弥彦村)は越後国の一之宮として知られていますが、祭神の天香山命には多少違和感を感じます。まず父神の饒速日尊ですが、瓊々杵尊(ニニギノミコト)より先に天孫降臨を行い、神武天皇の東征の際には河内の豪族と思われる長髄彦は饒速日尊を天孫として奉じて行くてを阻んでいます。結果的に饒速日尊は家臣であるはずの長髄彦を見捨て神武天皇に降伏していますが何とも後味の悪い結末を演じています。平安時代に成立した日本の史書である先代旧事本紀の中の「天孫本紀」によると、天香山命は御子神として饒速日尊の天孫降臨に随行し、紀伊国の熊野邑(和歌山県新宮市)に居したとされ、多くの史書で天香山命は尾張氏らの祖や尾張連の祖、尾張連らの遠祖と表現され高倉下と同神とされます。高倉下は「古事記」や「日本書紀」の神武東征の中で神武天皇が熊野で苦戦を強いられた際、窮地を救った神として描かれていますが、それが事実であれば、父神の饒速日尊に先んじて神武天皇に手助けした事になります。又、尾張氏は名前の通り、尾張地方の有力な豪族でその後裔は熱田神宮大宮司を代々務めている事から、客観的な資料から見ると、天香山命と越後国(現在の新潟県)とは関係が無いように推察されます。あくまで、弥彦神社の由緒ですが、天香山命は神武天皇即位四年に越後に遷るように命じられ、越後国の野積の浜(現在の新潟県長岡市)に上陸し、越後国を平定すると様々な産業を伝授し崇敬されるようになったとされ、現在でも弥彦神社の周辺には高倉下の後裔とも思われる高倉姓を名乗る家が複数存在しています。このように、現在残されている資料と、弥彦神社の由緒にはちぐはぐな点がある事から、元々の弥彦神社は別の神が祭られていたとの説があります。

1つの説としては大彦命が挙げられます。日本書紀によると崇神天皇10年に大彦命を北陸に派遣したとあり、古事記にも崇神天皇の御代に大毘古命(大彦命)を高志道(北陸道)に派遣されたとあります。もし、天香山命が越後国を平定していたならば、今更大彦命を派遣する必要は無く、当時の北陸地方は朝廷の支配下にはなかったと推察されます。それでは大彦命が弥彦神社の祭神なのかというとやはり疑問があります。それは、大彦命は現在の新潟県新発田市から秋田県に到る日本海側と福島県の会津地方に鎮座する古四王神社に祭神として祭られている例が多く、朝廷が新潟県の北部以降に侵略した際に意図的に祭ったような印象を受けるからです(岩手県には同音の胡四王神社が鎮座していますが、こちらは、政治的な意図と言いうよりは俘囚の人々が好んで祭ったと思われます。青森県や宮城県には目立った古四王神社は無いと思われます)。大彦命は越後国に関係が深いですが、主として古四王神社に祭られている事から、弥彦神社の主祭神としては違和感があります。大和朝廷は大化3年(647)に古代の城柵である渟足柵(推定地:新潟県新潟市)を翌年の大化4年(648)に磐舟柵(推定地:新潟県村上市)を築いている事から、古四王信仰は7世紀以降に始まったと考えられ、弥彦神社はそれとは異なる神社だったと思われます。日本神社100選

1つの説としては大屋彦命が挙げられます。大屋彦命が弥彦神社の祭神である積極的な根拠は良く判りませんでしたが、平安時代に成立した延喜式神名帳に弥彦神社の事と思われる伊夜比古神社とよく似た、伊夜比盗_社が能登国能登郡に鎮座していた事が記載されています。この伊夜比盗_社の祭神は大屋津媛命で、伝承によると伊夜比古神社には夫の大屋彦命が祭られていると伝えられているそうです。又、別の資料には大屋彦命は大屋津媛命の兄神で五十猛命と同神とある事から、弥彦神社の祭神は五十猛命という論も成り立ちます。弥彦神社が鎮座する弥彦山は日本海に面する目立った山だった事から海上交通の目印として信仰の対象になった可能性は高く五十猛命は造船、航海安全、大漁の神でもある為、弥彦山に祭るには相応しい神とも言えます。さらに、弥彦村に隣接する新潟県三条市に鎮座する五十嵐神社(延喜式内社の伊加良志神社の論社)には越国(現在の北陸地方)の開発に尽力したとされる五十日帯彦命が祭られ、墳墓まであります。五十猛命と五十日帯彦命は別神ですが、こうした名前の響きの類似性は感じます。

1つの説としては阿彦が挙げられます。阿彦は現在の富山県を本拠として越国を支配していたと思われる豪族ですが、朝廷から大幡主命が派兵され滅ぼされています。現在、小千谷市に鎮座する魚沼神社は往時、上弥彦大明神と名乗り、江戸時代に神官から聞き取った話が乗せられている「北越雑記」によると「当地(魚沼神社の背後にある山)が弥彦明神が降臨した最初の土地である。垂仁天皇の御代に阿彦が当地で討たれ、当社はその阿彦の霊を祀る神社である」と記されています。ただし、江戸時代に式内社魚沼神社を自称し社号を改めている事から、こちらが正しければ弥彦神社とは関係が無い事になります。

個人的には、弥彦山は平地に聳える目立つ存在で、海上交通の目印でもあった為、古代人の素朴な自然崇拝が原型にあり、弥生時代以降当地の豪族に発展した首長家の氏神として成立したと考えます。弥彦山の東麓には4世紀後半に築造された新潟県最大級の菖蒲塚古墳(前方後円墳・全長53m・国指定史跡)や山谷古墳(前方後円墳・全長37m・4世紀中頃)、弥彦神社の近くには稲場塚古墳(前方後円墳・前長26m・4世紀前半)、弥彦神社の参道の延長には保内三王山古墳群(三条市・前方後円墳等・4世紀後半〜)があり、何れも弥彦神社に関係が深い豪族の墳墓と推定される事から祭祀場から形ある神社としては4世紀前後に成立した可能性があります。しかし、7世紀半ば以前は弥彦山周辺が朝廷と蝦夷地との境界線だった可能性が高い事から次第に重要性が増し、朝廷と関わりが深い神が祭られるように変化したと思われます。

新潟県の神社山門
旦飯野神社(笹岡城)諏訪神社(新発田城)蒼柴神社(長岡城)藤基神社(村上城)弥彦神社
魚沼神社(弥彦神社)
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