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 神社山門: 日吉東照宮

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日吉東照宮

日吉東照宮(滋賀県大津市坂本)
【 概 要 】−日吉東照宮は寛永11年に天台宗の高僧で、徳川家康の側近だった天海大僧正が創建した神社で、徳川家康の御霊(東照大権現)が祀られています。社殿は権現造で、本社である日光東照宮より早く造営しています。当初から神仏習合していましたが明治時代の神仏分離令により仏教色が一掃され、隣接する日吉大社の末社となっています。社殿は江戸時代初期の建物で国指定重要文化財に指定されています。

【 場 所 】滋賀県大津市坂本4丁目

【 構 造 】−平唐門、檜皮葺、一間一戸、四脚門

【 備 考 】−元和2年(1616)に江戸幕府初代将軍徳川家康が死去すると、家康の遺言に従い、遺体は久能山(現在の久能山東照宮)に埋葬され、1周期に御霊が日光山(現在の日光東照宮)に勧請されました。その際に問題となったのが家康の神号で、主に天海大僧正、以心崇伝、神龍院梵舜の3人が中心となり話しあわれました。天海大僧正は天台宗の高僧だった事から比叡山延暦寺日吉大社との神仏習合の形態である山王一実神道を説き、「権現」を推しました。一方、以心崇伝は久能山に埋葬された際に吉田神道の形式を採用した事から引き続き吉田神道が提唱する「明神」号を推しました。神龍院梵舜は吉田神道の当主である吉田兼右の子供として生まれ、豊臣秀吉を祭る豊国神社の別当だった事から「明神」号を強く推しました。当時の山王之神道は天海大僧正が創作した教義であったとされ、当然、家康も信仰していた訳ではなかったのですが、天海は家康の遺言である事を主張し(詐称したとも?)、さらに明神号は豊臣秀吉の神号である「豊国大明神」に通じ、その結果豊臣家が滅んでいる事から縁起が悪いと声を大にした為、強引に「権現」号が採択され、以後、日光東照宮は天台宗である輪王寺が別当寺院として祭祀に大きな影響力を持ちました。しかし、天海の強引な手法は2代将軍徳川秀忠とは折り合いが悪く、結局側近としての立場が失われ、合議制という新たな体制が用いられた為、直接的な影響力が失われたとされます。しかし、元和9年(1623)に秀忠が将軍職を徳川家光に譲ると、今度は天海は家光に取入り、同年に山王一実神道の本社である日吉大社の隣地に日吉東照宮を創建、さらに、寛永9年(1632)に秀忠が死去すると、寛永11年(1634)に日吉東照宮の社殿が造営されました。現在残されている社殿は当時のもので国指定重要文化財に指定されてます。

滋賀県の神社山門
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