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神社山門: 兵主大社 |
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兵主大社 |
【 概 要 】−兵主大社は景行天皇58年に創建された古社で、欽明天皇の時代に当地に遷座しました。格式が高く平安時代中期に成立した延喜式神名帳では名神大社として記載されています。社号の「兵」は武士、「主」は当主を想像出来る事から中世以降の武家政権為政者から信仰の対象となり社領の寄進や社殿の造営が行われました。楼門(神社山門)は室町時代末期(桃山時代)に建てられたものでに滋賀県指定有形文化財に指定されています。
【 場 所 】−滋賀県野洲市五条 【 構 造 】−入母屋、檜皮葺、三間一戸、楼門 【 備 考 】−兵主大社を奉斎していたとされる播磨氏は景行天皇の皇子である稲背入彦の孫にあたる阿良都別命が成務天皇の御代に播磨国造を賜り「播磨」姓を名乗ったのが始まりとされます。元々の祭神だったと思われる兵主神は奈良時代に成立した「古事記」や「日本書紀」に見られず、平安時代に成立した「日本三代実録」が初見である事から、大陸の神という説があり、中国の古文書である「史記」の「封禅書」には中国の神話で登場する「蚩尤」が相当とも云われています。一方、稲背入彦は日本書紀には上記のように景行天皇の皇子として記載されていますが、古事記や旧事本紀の天皇本紀ではそのような記載がない事から渡来人説があり、兵主神が中国の神とすると奇妙な一致を見る事が出来ます。しかし、兵主神に対しては諸説あり良く判らない存在であるのは確かで、当社では大己貴神の別称の中でも武器の「矛」に因む「八千矛神」を祭神として掲げています。
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