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神社山門: 三尾神社 |
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三尾神社 |
【 概 要 】−三尾神社が何時頃から祀られていたのかは誰も判りませんが信仰の山である長等山に伊弉諾尊が出現した伝説があり、伊弉諾尊が身に着けていた3本の腰帯がそれぞれ赤尾神、白尾神、黒尾神の3神として信仰され、それが転じて三尾明神と呼ばれるようになっています。貞観元年には智証大師円珍によって再興され、以降、神仏習合しています。歴代領主からも崇敬庇護され、戦国時代には豊臣秀吉から社領の寄進や社殿の修繕が行われました。本殿は室町時代中期に足利家が造営した古建築物で国指定重要文化財に指定されています。
【 場 所 】−滋賀県大津市園城寺町 【 構 造 】−向唐門、檜皮葺、一間一戸 【 備 考 】−三尾神社の祭祀を長く司ってきた圓城寺(三井寺)は7世紀に古代の氏族である大友氏の氏寺として創建され、9世紀に天台寺門宗宗祖である円珍により再興された寺院です。大友氏は後漢献帝の後裔とも、仁徳天皇の御代に渡来した帝利が祖とも伝えられる氏族で、近江国(現在の滋賀県)に土着すると大きな勢力となり、672年の壬申の乱の際には大友皇子に加担したとも云われています。三尾神社に祭られている黒尾神は黒尾新羅太神とも呼ばれ、「新羅」は紀元356〜935年まで朝鮮半島南東部に位置する古代国家の国名である事から、漢系、又は百済系の大友氏との関係性があるかも知れません。しかし、百済国と新羅国は対立関係にあった事から、何故新羅神を祭ったのかは不詳、圓城寺(三井寺)の飛び地に新羅善神堂がある事からも相当深い繋がりがあることは間違いありません。因みに新羅善神堂は天安2年(858)に円珍が唐(中国)から帰国する際に船上で暴風雨にあった際、新羅明神の化身と思われる白髪の老人が出現し救済した事から奉斎するようになったと伝えられています。こちらが事実であれば、円珍が三尾神社を再建した際に、新たに勧請された神という事になります。元々は赤尾神が地主神として祭られていた事から主祭神で、配祀として黒尾神と白尾神(伊弉諾、伊弉冊)、天照大神とする体制だったようですが、現在は何故か主祭神が元々白尾神だった伊弉諾尊となり、配神は赤尾神と天照太神が合わさった赤尾天照太神と黒尾新羅太神、白尾白山権現となっています。
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