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 神社山門: 御上神社

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御上神社

御上神社(滋賀県野洲市三上)
【 概 要 】−御上神社は霊山として信仰の対象となった三上山を御神体とする神社で、孝霊天皇6年に天之御影神が山頂に降臨したと伝えられています。平安時代には神階に名を連ね、延喜式神名帳では格式の高い名神大社として記載されています。天皇や源頼朝、足利尊氏、豊臣秀吉などの為政者や佐々木六角氏など歴代領主から庇護され社領の寄進や社殿の造営が随時行われ社運が隆盛しました。現在でも鎌倉時代に造営された本殿、拝殿、楼門(神社山門)、若宮神社が残され本殿は国宝、その他は国指定重要文化財に指定され異彩を放っています。

【 場 所 】滋賀県野洲市三上

【 構 造 】−入母屋、檜皮葺、三間一戸、八脚楼門国指定重要文化財

【 備 考 】−伝説によると平安時代中期に田原藤太秀郷が瀬田の唐橋を渡った際、大蛇が寝そべり通行を妨害したものの、藤太は何もなかったように悠々と大蛇を踏みつけ橋を渡り切りました。その様子を見ていた琵琶湖の主である龍神が、藤太の勇猛な立ち振る舞いに感服し、三上山に巣食う百足退治を依頼しました。秀郷はその懇願を快く承諾し、御上神社に百足退治の祈願すると、祭神から勝利の秘法を授かりました。藤太は御上神社からの御告げに従い瀬田の唐橋から3本の神矢を放ち、最後の矢が見事百足の額を射抜き討ち取る事が出来ました。龍神は藤太の武勇を大いに讃え尽きることない不思議な米俵を贈った事から「俵藤太」と呼ばれるようになったと伝えられています。田原藤太秀郷とは下野大掾藤原村雄の子供で、本名は藤原秀郷、所謂「平将門の乱」を平定した事で下野国の国司と武蔵国の国司、そして鎮守府将軍に就任するなど広く知られる存在となりました。三上山や御上神社を舞台とする「百足退治伝説」に類似する伝説は全国各地で見られる為、真偽の程は判りませんが、藤太秀郷の平将門を打ち破った勇猛果敢な行動が伝説化したのかも知れません。

滋賀県の神社山門
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