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 神社山門: 押立神社

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押立神社

押立神社(滋賀県東近江市北菩提寺町)
【 概 要 】−押立神社は神護景雲元年に白山比盗_社石川県白山市)の祭神が勧請されたと伝わる神社です。天元元年に押立山の山頂から現在地に境内を移し周辺の総鎮守となっています。中世は近江守護の佐々木氏、江戸時代は彦根藩主井伊家から崇敬庇護され、社領の寄進や社殿の造営が行われています。本殿と大門(神社山門)は室町時代初期の建物で国指定重要文化財に指定されています。

【 場 所 】滋賀県東近江市北菩提寺町

【 構 造 】−入母屋、檜皮葺、一間一戸、四脚門

【 備 考 】−押立神社は押立山を御神体とする素朴な自然崇拝が信仰の始まりと思われます。祭神である押立明神は火産霊神と同神とされ、時代が下がると加賀国(現在の石川県)から白山神を勧請し、2柱体制となり、平安時代後期には文屋康兼の邸宅内に遷座し、さらに後年現在地に再遷座しています。文室氏は天武天皇の皇子長皇子の後裔とされる氏族で文屋綿麻呂の代から押立神社の神官を歴任してるとされます。文屋綿麻呂は近衛将監や近衛少将、大膳大夫、兵部大輔、参議などを歴任し、近江大掾や出羽権守、播磨守にも就任し地方の采配も任されました。特に武勇の誉が高く、坂上田村麻呂などと共に、陸奥国、出羽国の蝦夷との戦いで遠征を繰り返し征夷大将軍にも就任しています。綿麻呂の生誕年が天平神護元年(765)の為、由緒上の白山神を勧請した年にはかなり無理がありますが、延暦18年(799)に近江大掾に就任し当地に配された際に地元神を信仰すると共に氏神として白山神が勧請されたのかも知れません。文屋氏はその後没落したようですが、その後裔の一族(文室氏)は押立神社の神官を歴任し現在に至っています。

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