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 神社山門: 建部大社

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建部大社

建部大社(滋賀県大津市神領)
【 概 要 】−建部大社は景行天皇46年に日本武尊の御子神とされる建部君により創建された古社です。天武天皇4年に現在地に遷座し、天平7年に孝徳天皇の勅願社となり、改めて大和三輪大神神社の祭神である大己貴命が祀られるようになっています。平安時代中期の延喜式神名帳では格式が高い名神大社に列し、近江国府が近い事から国事の祭祀を司り近江国一宮として格付けされていました。歴代領主や為政者から崇敬庇護され、特に源頼朝が源氏再興を祈願し、念願成就した事から出世開運に御利益があるとして信仰の対象となりました。木造女神坐像と石燈篭は国指定重要文化財に指定されています。

【 場 所 】−滋賀県大津市神領

【 構 造 】−切妻、檜皮葺、三間三戸、八脚単層門

【 備 考 】−建部大社の旧地である近江国神崎郡建部郷(現在の滋賀県東近江市五個荘伊野部町)は日本武尊の妃である布多遅比売命と御子である建部稲依別命が住んでいた地とされます。古事記によると布多遅比売命は、近淡海安国造(近江国東部 ※現在の琵琶湖東岸)の祖先である意富多牟和気の娘とされ、稲依別王(犬上君・建部君)を産んだとされます。日本書紀では安国造の祖は彦坐王3世孫の大陀牟夜別で、娘であるの両道入姫命は日本武尊に嫁いで稲依別王を産んだとされます。建部大社の由緒によると日本武尊が景行天皇43年に死没した事を受け、景行天皇46年に近江国神崎郡建部郷にある千草嶽(箕作山)に日本武尊の御霊を勧請し祭ったとされます。箕作山は標高372mの低山ですが、中腹には瓦屋禅寺、隣接する太郎坊山(赤神山)の中腹には太郎坊宮が境内を構えるなど信仰の山として知られ、麓には建部神社が鎮座しています。

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