名 称 | 建築年 | 内 容 | 場 所 | 備考 |
・矢川神社 | ・文明4年 |
矢川神社は天平宝字6年に創建した古社で、格式が高く平安時代中期に成立した延喜式神名帳に式内社として記載されていました。当時の甲賀郡には8社が式内社として記載されていましたが、矢川神社はその筆頭、周辺22ヶ村の鎮守として広く信仰されました。天正年間に戦乱に巻き込まれ荒廃しましたが、江戸時代に入ると水口藩主から庇護され社殿が再建されています。
| ・滋賀県 ・甲賀市 | 県指定 |
・油日神社 | ・永禄9年 |
油日神社は古くから霊山として信仰の対象になっていた油日岳の麓に聖徳太子が創建した神社です。格式が高く三大実録に記載され中世には「甲賀の総社」とも呼ばれ当地域では随一の名社とし信仰されました。油日神社楼門(神社山門)は室町時代後期に建てられたもので国指定重要文化財に指定されています。同じく本殿、拝殿、回廊も室町時代に建物で国指定重要文化財に指定されています。明治時代以前は神仏習合した事から社宝には仏教色が強いものを数多く所有しています。
| ・滋賀県 ・甲賀市 | 国指定 |
・檜尾神社 | |
檜尾神社は何時頃から祀られていたのは誰も判りませんが、神話の時代に天津彦彦火瓊瓊杵尊が出現し、炎の尾を持つ竜に姿を変えたとの伝説が残されています。その伝説に因み長く「火尾神社」と呼ばれていましたが、「火」字は火災を連想させる事から「檜尾神社」の当て字が宛がわれ現在の社号に改めています。現在の本殿は江戸時代中期に再建されたもので滋賀県指定文化財に指定されています。
| ・滋賀県 ・甲賀市 | |
・御上神社 | ・康安5年 |
御上神社は霊山として信仰の対象となった三上山を御神体とする神社で、孝霊天皇6年に天之御影神が山頂に降臨したと伝えられています。平安時代には神階に名を連ね、延喜式神名帳では格式の高い名神大社として記載されています。天皇や源頼朝、足利尊氏、豊臣秀吉などの為政者や佐々木六角氏など歴代領主から庇護され社領の寄進や社殿の造営が随時行われ社運が隆盛しました。現在でも鎌倉時代に造営された本殿、拝殿、楼門(神社山門)、若宮神社が残され本殿は国宝、その他は国指定重要文化財に指定され異彩を放っています。
| ・滋賀県 ・野洲市 | 国指定 |
・春日神社 | ・慶長18年 |
春日神社は奈良興福寺の願安が金勝寺の堂宇を建立した際、興福寺と神仏習合していた春日大社の祭神である春日四神の分霊を勧請したのが始まりと思われます。その後は、金勝寺の別院である狛坂寺の守護神、又は近隣の氏神として信仰されました。神門(神社山門)は江戸時代初期に建立されたもので、小規模ながら桃山文化を踏襲する形式を現在に伝える貴重な建物として国指定重要文化財に指定されています。
| ・滋賀県 ・栗東市 | 国指定 |
・大野神社 | ・鎌倉時代 |
大野神社は天徳3年(959)に菅原道真の御霊を勧請し創建された神社です。ただし、前身とされる神社は水神である狛坂神(天之水分神)を祭り「天神社」や「狛坂天神」などと呼ばれ、平安時代に成立した三代実録にも記載された名社だったとされます。その後は金勝荘の総社として広く信仰されるようになり社運も隆盛し社領の寄進や社殿の造営が繰り返されました。楼門(神社山門)は鎌倉時代に建てられた、滋賀県最古の楼門建築で国指定重要文化財に指定されています。
| ・滋賀県 ・栗東市 | 国指定 |