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 神社山門: 湊神社

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湊神社

湊神社(静岡県湖西市新居町)
【 概 要 】−湊神社は延喜式神名帳に名神大社として記載されている角避比古神社の論社の1つで格式の高い古社です。度々震災や大津波などで被害を受け衰微しましたが宝永5年(1708)に現在地に遷座して再興しました。明治時代に1度国幣中社に格付けされましたが、後に解除される事態に陥っています。

【 場 所 】−静岡県湖西市新居町新居

【 構 造 】−平唐門、銅板葺、一間一戸

【 備 考 】−いくら格式の高い神社でも、現在まで歴史が継承され続ける事は大変難しい事で、特により多くの信者の獲得や、神官や氏子の自尊心を得ようとする心情が、自分が信じる神社の前身をより高いものと考えるようになり、本来後継する神社は一社しかないはずなのに複数の論社と呼ばれる神社が生れる事になっています。延喜式神名帳は当時の格式の高い神社を列記している事から、ここに記載されているだけでも、朝廷にも認められている事になりますが、名神大社はさらにその上位にあたり、各国で1〜2社程度しかありません。角避比古神は名神大社な訳ですから、本来、国主や歴代領主から崇敬の対象となり領内での宗教的中心として繁栄していたはずです。それが、明応7年(1498)の大地震で発生した大津波以降はその存在が曖昧となり、現在では複数の神社が後継神社を主張するようになっています。これは、明応7年(1498)時点で既に大きな勢力から庇護を得る存在では無かった事を示唆し、口碑として伝えられる中で人々の記憶が曖昧になった頃合いを図りそれぞれが角避比古神を自称するようになったと思われます。当然、本来主体的に再建を図るはずの氏子達が住まう集落も壊滅的な被害を受け、再建どころか由緒を継承する人材も失われたと思われます。一方、周辺の集落にも角避比古神の伝承が残され、一つは浜名湖湖畔にある村櫛集落の浜井場に社殿の一部と幟旗が漂着し、村の鎮守である八王子社に祭られ、漂着した場所には小祠が建立されたという話です。もう一つは細江町伊目の十三本松という場所に角避比古神の御神体と御福面が漂着した事から社殿を造営して祭ったとされ、これが現在の細江神社の前身である話です。もう一つは古人見集落の古橋七兵衛宅に隣接する岬に御神体が漂着し、その場所に小祠を建立し、後に鎮守である若御子神社に合祀した話です(祭神として角避比古神が祭られているのは若御子神社のみ)。

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