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 神社山門: 淡海国玉神社

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淡海国玉神社

淡海国玉神社(静岡県磐田市見付)
【 概 要 】−淡海国玉神社が何時頃から祀られていたのかは判りませんが、六国史の1つ日本三大実録におると貞観7年に神階従五位下に列格した事が列記され、平安時代中期に成立した延喜式神名帳にも式内社として記載されていました。遠州国総社とされ、江戸時代後期に成立した「遠江国風土記伝」によると、当初は磐田明神として磐田郡向坂郷に鎮座していましたが、遠江国国府に近い現在地に遷座し総社になったと記載されています。社殿(本殿・幣殿・拝殿)は磐田市指定文化財に指定されています。

【 場 所 】−静岡県磐田市見付

【 構 造 】−切妻、桟瓦葺、一間一戸、四脚門

【 備 考 】−淡海国玉神社は1789年に遠江国豊田郡大谷村出身の国学者内山真竜が筆した「遠江国風土記伝」によると、元々磐田郡向坂(匂坂)郷に祭られていた磐田明神とし、一方、平安時代に成立した歴史書である「日本三大実録」に「授淡海石井神従五位下」とある為、現在の静岡県磐田市岩井原に鎮座していたという説もあります。何れも遠江国が立国し、現在の磐田北小学校付近(推定地)に国府が置かれた後に遠江国総社として遷座したと推定される為、一般的に総社制度が実施されたのは平安時代中期以降、確立したのは平安時代末期頃とされている事から、淡海国玉神社もその頃に現在地に遷座した事になります。そうなると、遠江国司である桜井王が創建したという府八幡宮が何故総社にならず、態々他所から淡海国玉神社を移したのか素朴な疑問があります。創建年としては府八幡宮は桜井王が在任中の9世紀となる為、当社が遷座するより早くに存在した可能性があり疑問が残るところです。そう考えると国府が見附に設置され遠淡海国造(遠江国造)が当地に赴任してきた際に祖神を祭る神社として当社を遷座させ、平安時代中期以降に総社に選定されたと考える方が自然かと思われます。上記の理由とは異なると思われますが、元々の祭神も大国主命では無く、淡海国玉神とする説もあります。

静岡県の神社山門
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