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 神社山門: 木幡神社

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木幡神社

木幡神社(栃木県矢板市)
【 概 要 】木幡神社は坂上田村麻呂が許波多神社で祀られていた天忍穂耳命を勧請し創建した古社です。大同2年に現在地に遷座し、以後は藤原秀郷や源頼義、源義家、源頼朝などが参拝に訪れ、中世には長く当地を支配した塩谷氏の崇敬社として庇護されました。江戸時代には幕府から社領200石が認められています。木幡神社本殿と楼門(神社山門)は室町時代中期の建物で国指定重要文化財に指定されています。

【 場 所 】栃木県矢板市木幡

【 構 造 】−入母屋、銅板葺き、三間一戸、八脚楼門

【 備 考 】−許波多神社(こはたじんじゃ)は京都府宇治市木幡東中に鎮座する神社で、由緒によると大化元年(645)に蘇我馬子の孫とされる蘇我倉山田石川麻呂の奏上により孝徳天皇が勅命を下し中臣鎌足が社殿を造営したとされます。坂上田村麻呂が戦勝を祈願したという伝承も伝わり、平安時代に成立した延喜式神名帳には名神大社として記載され、天忍穂耳命を祭神とする式内社は許波多神社が唯一な事から宗廟の神として特別視されました。木幡神社が坂上田村麻呂によって創建されたのかは判りませんが、本社格である許波多神社の鎮座地の地名である「木幡」も同様である事などから関係が深かった事が窺えます。その後の経緯も由緒以外で知る事は出来ませんが、中世は領主である塩谷氏が庇護したと思われ、平安末期から鎌倉初期の当主で歌人、御家人でもある塩谷朝業が「氏のやしろ によみて奉り あわれみよ われもあらしになりぬべし ははちりはてしもりの木のもと」と詠んでいます。初期の頃の塩谷氏は客観的な資料が無く不明な部分が多いですが、鎌倉時代以降は宇都宮家から養子を迎え宇都宮家の一族として重責を担い、豊臣政権下で何らかな問題が発生し、文禄4年(1595)に改易となり常陸国(現在の茨城県)の佐竹氏の家臣となっています。慶長5年(1600)の関ケ原の戦いで佐竹氏は東西中立を選択した事により久保田藩(現在の秋田県の大部分)に移封になると塩谷氏も随行し十二所(秋田県大館市十二所)の所預となっています。木幡神社の本殿と楼門(神社山門)は塩谷氏時代に造営されたもので、社殿の規模から察しても塩谷氏はある程度財力がある国人領主だった事が窺えます。

栃木県の神社山門
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