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 神社山門: 長沼八幡宮

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長沼八幡宮

長沼八幡宮(栃木県真岡市)
【 概 要 】−長沼八幡宮は延暦14年に坂上田村麻呂が創建した古社です。源頼義、源義家、源頼朝により社領の寄進や社殿の造営が行われ、中世には長く当地を支配した長沼家の庇護となり社運も隆盛しています。江戸時代に入ると幕府から庇護され社領10石が安堵されています。本殿、幣殿、拝殿、随神門(神社山門)は江戸時代中期に建てられた貴重なもので真岡市指定文化財に指定されています。

【 場 所 】栃木県真岡市長沼

【 構 造 】−入母屋、鉄板葺き、三間一戸、八脚単層門

【 備 考 】−長沼氏は鎌倉時代初頭の元暦年間(1184〜1185年)に藤原秀郷の直系子孫とされる太田行政の子供、又は孫とされる小山政光の次男宗政が下野国芳賀郡長沼に配され、地名に因み「長沼」姓を名乗ったのが始まりとされます。宗政は源平合戦や文治5年(1189)の奥州合戦で源頼朝に従軍し、源氏没落後は執権北条氏に従い建仁3年(1203)の比企能員の変、元久2年(1205)の畠山重忠の乱、承久3年(1221)の承久の乱などで功績を挙げ拠点である芳賀郡長沼だけでなく全国各地に領土を与えられ大きな版図を築きました。しかし、鎌倉幕府が滅亡すると衰退を招き、観応3年(1352)には嫡流の秀直が陸奥長江荘(現在の福島県南会津町田島)に本拠を移し、残された一族は下野長沼氏として引き続き当地に留まりました。秀直の子供である義秀は鎌倉公方足利氏満の信任を得て当地の領主に復権し、さらに関東八屋形に指名されるなど中興したものの、享徳3年(1455)〜文明14年(1483)に発生した享徳の乱で関東管領方に与した為、古河公方に攻められ居城である長沼城は落城、嫡流は没落しています。長沼八幡宮も文明10年(1479)に古河公方に与した水谷氏に焼き討ちとなり、さらに庇護者を失った事で神領を取り上げられるなど衰退しました。その後、再興が図られ永禄6年(1563)には社頭造営が造営されたものの、天正19年(1591)に多賀谷重経が社殿を破却した為再び衰退しています。江戸時代に入ると幕府の庇護となり社領を安堵されています。

栃木県の神社山門
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