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 神社山門: 二荒山神社

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二荒山神社

二荒山神社(栃木県宇都宮市)
【 概 要 】−二荒山神社は仁徳天皇41年に下野国の国造に就任した奈良別王が祖神である豊城入彦命を祀り創建した古社です。承和5年(838)に現在地に遷座し、延喜式神名帳では名神大社に格付けされるなど格式が高く下野国一宮として国事の祭祀を司る立場だったと推定されています(日光に鎮座する二荒山神社が一宮とする説もあります)。歴代領主や為政者から崇敬庇護され、藤原秀郷が戦勝祈願して見事、平将門を討ったとの伝承が残り源頼義や源義家、源頼朝なども参拝に訪れたそうです。中世に入ると長く当地を支配した宇都宮家の崇敬社と庇護され、江戸時代には歴代宇都宮藩主が庇護しています。

【 場 所 】−栃木県宇都宮市馬場通り

【 構 造 】−切妻、銅板葺き、唐破風、一間一戸、四脚門

【 備 考 】−栃木県には日光と宇都宮に二荒山神社が鎮座し、お互いが六国史や延喜式神名帳に記載され、下野国一宮だった二荒山神社を主張し、専門家でも両説あり現在も決着がついていないようです。個人的は日光の男体山、中禅寺湖、華厳の滝の三点セットは全国的に見ても聖地として申し分ない存在で、弘法大師空海が筆したと比定される「遍照発揮性霊集」に勝道上人により日光が開発される過程が明確に記されている事から奈良時代に成立した事が間違いありません。一方、宇都宮の方が後年成立した由緒が拠り所になる為、やや説得力が欠ける部分があります。確かに、初代下野国造とされる奈良別王が祖神である豊城入彦命の御霊を勧請した当社の由緒は下野国一宮に相応しいのですが、同じく後裔である上毛野君が豊城入彦命を祭ったとされる上野国二宮の赤城神社と比べると、鎮座地に大きな違和感を感じます(赤城神社は元々は一宮だったものの貫前神社にその座を譲ったとされます)。

確かに全てとは言いませんが、一宮の鎮座地は国造の本拠地や領内の最高峰の山、本拠地に近い神奈備型の山、火山などに関係した所が多く、宇都宮の二荒山神社は何れも当てはまらないような印象を受けます。ただし、宇都宮市内には複数の古墳が存在する事も確かで、中には栃木県有数の大型前方後円墳も見られる事から中には下野国造の墳墓が含まれている可能性も否定出来ません。しかし、当社境内近くにある御蔵山古墳は6世紀前半に築造された全長約62m程の前方後円墳で、この古墳と関係が深いとすると、6世紀前後に当地の中規模豪族の氏神として創建されたと考えるのが自然で、平安時代後期に当地の領主となった宇都宮氏がその後、下野国で大きな版図を築いた際、それに相応しい神社として由緒が一新されたとも考えられます。何れにしても中世以降は領主である宇都宮家の庇護により領内では最高位の神社としての地位が確立し当社の方が祭祀が容易い平地にある事から多くの参拝者が訪れ日光よりは賑わった思われます。

栃木県の神社山門
那須神社太平山神社木幡神社鷲子山上神社長沼八幡宮賀蘇山神社尾出山神社高椅神社
須賀神社二荒山神社朝日森天満宮唐沢山神社今宮神社佐野東照宮日光東照宮(陽明門)
二荒山神社滝尾神社二荒山神社中宮祠
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