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 神社山門: 出羽三山神社

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出羽三山神社

出羽三山神社(山梨県鶴岡市羽黒町)
【 概 要 】−出羽三山神社の随神門は元禄年間に矢島藩主生駒家から寄進されたもので、当初は寺院の表門である仁王門として両側には仁王像が安置されていました。当地は出羽三山信仰の一翼をになった羽黒山の中心地で、古くから神仏習合し山内には本坊はじめ30余ヶ院が境内を構えていましたが明治時代の神仏分離令と廃仏毀釈運動により、多くの寺院は廃寺となり、本坊は神式に転じて羽黒神社に改称しました。仁王門に安置されていた仁王像は他所に移され、改めて随神を迎えた事から随神門として破却を免れています。随神門を通過し長い石段を下ると国宝に指定されている羽黒山五重塔が建立され荘厳な雰囲気が感じられます。

【 場 所 】−山形県鶴岡市羽黒町手向字羽黒山

【 構 造 】−入母屋、銅板葺き、三間一戸、八脚単層門

【 備 考 】−この随神門の寄進者が生駒家と聞いて違和感を感じる人は少ないとは思いますが、お隣である秋田県の領主である生駒家が何故出羽三山と関係があったのか疑問に感じました。生駒家は元々四国の高島藩17万3千石の大名でしたが、寛永17年(1640)に生駒騒動(御家騒動)により矢島領1万石に移封となり、さらに2千石分を分知した為、本家は8千石の旗本となっています(明治維新後に1万5千石で諸侯に復帰)。言わば、大名でもない旗本が修験道の一大拠点となった出羽三山の表玄関となる仁王門(随神門)を奉納する財力があった事になるのですが、そもそも生駒家は出羽三山では無く鳥海山を信仰していたという認識を持っていただけに驚きに感じます。特に随神門を寄進した数年後には鳥海山の山頂争いが庄内藩との間に勃発、結局有力譜代大名である酒井家(14万石)の前に屈した形となり、6〜7合目より山頂は庄内藩領となり現在に至っています。一般的に幕府の裁定があった場合でも、ある程度の公平に裁かれ山頂の所有権や山頂本社の祭祀権程度に収まるはずでしたが、大幅な領地の削減が言い渡され、交渉に当たった矢島藩の家老金子氏は庄内藩の本城である鶴ヶ岡城の城下に赴き家老の屋敷前で切腹に及んでいます。この事件がもう少し前の出来事だったならば庄内藩にある出羽三山神社の仁王門を寄進する事も無かったかも知れません。日本神社100選

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