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 神社山門: 甲斐国一宮浅間神社

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甲斐国一宮浅間神社

甲斐国一宮浅間神社(山梨県笛吹市一宮町)
【 概 要 】−甲斐国一宮浅間神社は垂仁天皇8年に創建された古社で、貞観7年(864)の富士山の大噴火を鎮める為、翌年に木花開耶姫命が祀られるようになっています。延喜式神名帳では名神大社として記載され、甲斐国一宮として国の祭事を取り仕切る格式を得ていました。源頼朝や武田信玄、徳川家康などの領主、為政者から庇護され、江戸時代には3代将軍徳川家光により社領234石が安堵されています。紺紙金泥般若心経や国次の太刀、一徳斉助則の太刀、武田信玄公自詠の短冊などの社宝(文化財指定)を所有しています。

【 場 所 】−山梨県笛吹市一宮町一ノ宮

【 構 造 】−切妻、銅板葺き、三間一戸、八脚単層門

【 備 考 】−一般的に中世以前の由緒が明確な社寺は極めて稀ですが、当社は平安時代に成立した「日本三代実録」に創建の経緯が詳細に記されています。ただし、ここで記されている浅間神社を主張する神社は複数あり、全て確証はありません。同じく、甲斐国一宮の論社も複数あります。確かに当社の境内と富士山との位置からは関係性を見る事は難しく、河口浅間神社(南都留郡富士河口湖町)の方が相応しく感じます。社殿の向きも東西方向を軸としており、富士山が南に位置している事から、本来富士山を信仰の対象とするならば南北方向にするした方が判りやすいと思われます。一方、当社は甲斐国府に近く、国司が祭祀を司るには有利ではあります。よく、国府に近いから当社が甲斐国一宮であるとする説が有力と云われていますが、離れている例も数多くある事からとても主要な理由とは思えません。しかし、時代が下がった室町時代には当社が事実上の一宮として崇敬の対象となり、特に甲斐国守護職の武田家からは篤く庇護されています。日本神社100選

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