茅葺屋根: 大内宿

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大内宿
大内宿
・概 要・大内宿は会津城下(福島県会津若松市)と今市宿(栃木県日光市)とを結ぶ会津西街道(下野街道)の宿場町です。会津西街道は会津城下と江戸の間を最短距離で結んだ為、江戸時代当初は会津藩、村上藩、新発田藩、米沢藩が参勤交代の経路として利用しました。会津城下を早朝出立すると丁度昼時に大内宿に到着した為、昼食を採る事が常でした。江戸時代中期以降は参勤交代で利用される事が無くなりました。
大内宿
大内宿
・概 要・明治時代に入ると会津三方道路が整備され、大内宿はその経路から外れた為、交通の要衝としての重要性は失われ、大規模な近代化が行われる事はありませんでした。経済的にも大きな発展が無かった事から住民達の生活習慣も変化が少なく、家屋の建て替えもままならず、結果的に江戸時代以来の宿場町の形体がそのまま残されました。昭和中期に至り、大内宿の茅葺屋根が続く町並みの価値が認められています。
阿部家住宅(美濃屋)
・場 所福島県南会津郡下郷町大内
・建築年・江戸末期:慶応年間(1865〜1868)
・形 体・木造平屋建、寄棟、茅葺、妻入。
・文化財・大内宿:国の重要伝統的建造物群保存地区
・項 目茅葺屋根(町屋)
・概 要・阿部家は屋号「美濃屋」を掲げ会津西街道の宿場町である大内宿の名主を歴任した家柄です。明治時代初期にはイギリス人女性紀行家イザベラバードが宿泊した事でも知られています。
佐藤家住宅(玉屋)
・場 所・福島県南会津郡下郷町大内
・建築年・江戸時代初期
・形 体・木造平屋建、寄棟、茅葺、妻入。
・文化財・大内宿:国の重要伝統的建造物群保存地区
・項 目茅葺屋根(町屋)
・概 要・佐藤家は屋号「美濃屋」を掲げ会津西街道の宿場町である大内宿で20代以上続く旧家です。伝承によると佐藤家の先祖は高倉以仁王が大内宿に逃れてきた際に御世話をしたと伝えられています。
大内宿・本陣
・場 所・福島県南会津郡下郷町大内
・項 目茅葺屋根(本陣・脇本陣)
・概 要・会津西街道の宿場町である大内宿の本陣です。建物的には江戸時代末期には既に失われていましたが、同じ会津西街道の糸沢宿本陣の阿久津家や、記録が明確な川島宿の本陣を参考にして復元されました。大内宿は江戸時代前期は大名の参勤交代で利用され大きく繁栄しましたが、その後経路から外れた為、本陣も衰微したと思われます。
子安観音堂(大内宿)
・場 所・福島県南会津郡下郷町大内
・形 体・寄棟、茅葺、平入、桁行3間、梁間3間、正面1間向拝付。
・項 目茅葺屋根(御堂)
・概 要・子安観音堂は大内宿の町並みを見下ろせる高台に位置し、江戸時代中期の延享3年に正法寺の住職が勧請した観音像を本尊として安置しています。特に大内宿の女性から篤く信仰され子授りや安産、子育てに御利益があるとされます。

※ このサイトの、写真や文章のコピーは遠慮してください。又、茅葺屋根は維持管理が難しく多額な費用がかかる為、現在は他の屋根材に葺き替えらている可能性があります。最終確認は自己責任で行ってください。御理解の程よろしくお願いします。