日本三大茅葺屋根集落

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国の重要伝統的建造物群保存地区
名 称所在地保存地区面積建築物工作物環境物件種別選定基準指定日
白川郷荻町岐阜県大野郡白川村荻町45.6(ha)117件11件8件山村集落(三)昭和51年
大内宿福島県南会津郡下郷町大内11.3(ha)50件9件2件宿場町(三)昭和56年
美山町北集落京都府南砺市美山町北127.5(ha)68件7件45件山村集落(三)平成5年

日本三大茅葺屋根集落

白川郷荻町
白川郷荻町・俯瞰 【 概 要 】−白川郷(岐阜県大野郡白川村)は周囲が高い山々に囲われ交通網が整備されなかった為周辺から隔絶されていた事から独特な文化や風習が発展、継承された土地柄です。景観的には豪雪地域、大家族制度、養蚕や硝煙の生産場、風向や日照の気象条件などから世界的に見ても、白川郷と五箇山(富山県南砺市)にしか見られない、合掌造りと呼ばれる、急勾配、茅葺屋根、切妻、平入(地域によっては妻入)、木造多層民家(主に3〜5階建)の建築形式が確立しました。明治時代以降は近世交通網の整備により、他地域から文化の流入や家族制度の変化、急激な過疎化、建材の近世化や効率化によって合掌造りの建物は急速に失われ、大規模ダムによりその景観は失われましたが、白川郷荻町は奇跡的にそれらの景観が保持され、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録され町並みは国重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
大内宿
大内宿・俯瞰 【 概 要 】大内宿は会津鶴ヶ城(福島県会津若松市)と江戸(東京都)を最短距離で結ぶ街道で今市宿(栃木県日光市)に至る会津西街道(下野街道)の宿場町でした。会津西街道(下野街道)は江戸時代初期に会津藩の藩主保科家(後の松平家)の参勤交代や日光東照宮(栃木県日光市)参拝で利用した為、大内宿も大いに賑いました。江戸時代中期以降は参勤交代の経路から外れ、日光大地震の被害などで次第に衰微し、明治時代以降に大規模な近世化が図られなかった事から、現在でも街道の両側には数多くの茅葺屋根の古民家が残されました。幕末の志士である吉田松陰(長州藩士)やイギリス人女性紀行家イザベラバード、古川古松軒(江戸時代後期の旅行家、地理学者)なども大内宿を利用しており、周囲にも旧観を留める史跡が点在している事から国指定史跡に指定され町並みは国重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
美山町北集落
美山町北集落・景観 【 概 要 】美山町北集落(京都府南砺市美山町北)は京都と若狭地方(福井県)を結ぶ若狭街道(鯖街道・小浜街道)沿いに位置した茅葺屋根集落です。当時は日本海の海産物や小浜近海で採れる鯖が日本海の浜辺近くで塩漬けされ京都に着く頃に丁度食べ頃になった事から、鯖を扱う商人や多くの旅人の往来があり、美山町北集落でも大きな影響がありました。しかし、明治時代に入り、近世交通網が整備されると若狭街道が廃れた為、近世化が図られず、その後も長い間、近世以前の農業や林業中心の生業が続けられた事から現在も茅葺屋根の「北山型民家」が数多く現存する古くからの山村集落の景観が維持されています。北山型は豪雪に対応出来るように屋根の軒には雪割りと千木、土間が外部より高いなどの特徴があり、入母屋屋根が南面に向けられています。町並みは国重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
 
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