長野県・飯山市・大聖寺

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【 概 要 】−大聖寺の創建は元亀元年(1570)今井兼平の後裔とされる今井内記が父の供養の為に一宇を設けたのが始まりとされます。当初飯笠山の北に境内を構え、前松寺と称していましたが天正年間(1573〜93)に有尾に移り、元和2年(1616)に飯山城の城主となった堀直寄により現在地に移され大聖寺と改称しています。大聖寺は堀家の菩提寺として庇護され、掘家移封後も新たに飯山城主となった佐久間家の菩提寺となり寺領50石1斗3合を寄進されました。佐久間家(安政・安長・安次)の庇護により領内の曹洞宗の中で最も石高の高い寺院となり寺運も隆盛しました。明治時代初期、幕末の三舟の1人に数えられた山岡鉄舟は道鏡慧端縁の正受庵を再興のために尽力し、大聖寺に滞在している最中に雄渾な筆跡を残しています。境内にある黄金石地蔵尊は弘化4年(1847)に起こった善光寺地震の供養地蔵で道核和尚が建立したものです。伝承によると道核和尚が修行に励んでいると、突如、仙人の化身と思われる白衣を着た1人の老人が出現し「地震で亡くなった無縁の霊を慰めて欲しい。」と懇願し姿を消しました。和尚はその御告げに従い翌年、黄金石から石を運び出し石造地蔵菩薩像を彫り込み安置、何時しか「黄金石地蔵様」と呼ばれ信仰されるようになったと伝えられています。飯山七福神の毘沙門天、案内板によると「四天王の一人、北方守護神の多聞天です。四天王は、古代インドの神であり、日本では仏教の守護神として信仰されています。多聞天は夜叉や羅刹を従えた神将で、富の武神とされ、日本に於いても同様の信仰を持つようになり、四天王とは別に単独で信仰される時に毘沙門天と呼ばれます。近世になり財産の神として福神に入れられています。」とあります。

大聖寺(飯山市):周辺の見所

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