長野県・飯山市・飯山城

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【 概 要 】−飯山城の築城は応永年間(1394〜1428)、飯加左山に泉氏によって築かれたとされます。泉家の祖とされる泉親衡は信濃源氏の後裔とされ信濃国小県郡小泉庄を本拠と鎌倉幕府の有力な御家人でしたが建暦3年(1213)、千寿丸(2代将軍源頼家の遺児)を擁立し当事の執権北条義時を追い落とす計画が露呈し当地に流されたとされます。その後、泉氏は当地に土着し国人領主として発展、長きに渡り飯山周辺を支配しました。戦国時代に入ると泉氏は上杉謙信の支配下となり飯山城は武田領となった信濃侵攻への軍事的一大拠点として重要視され永禄7年(1564)に謙信の縄張りにより大改修されました。飯山城は上杉方の城として川中島の戦いで利用されましたが謙信が死去すると家督争いなどで上杉家の勢力は大きく後退し武田勝頼の支配下に入り、天正10年(1582)織田信長の信濃、甲斐侵攻により勝頼が自刃し武田家が滅ぶと、当地域は信長の家臣家臣森長可が支配します。同年、本能寺の変で信長が自刃すると森長可が飯山城を破棄し自領に引き上げた為、上杉家の家督を継いだ上杉景勝が南下し、家督争いである「御館の乱」で景勝方に見方した泉家の一族である岩井信能が城代となり城の修築を行い現在の飯山城の規模に拡張整備します。慶長3年(1598)に景勝が会津に移封になりる岩井家も随行し、飯山城には豊臣秀吉の家臣関一政は3万石で入封します。江戸時代に入ると飯山藩が立藩し藩庁が置かれ皆川広照(1万石)・堀直寄(4万石)・佐久間(3万石:安政・安長・安次)・松平(4万石:忠倶・忠喬)・永井直敬(3万3千石)・青山幸秀(4万8千石)・本多(2万石→3万5千石:助芳・康明・助有・助盈・助受・助賢・助実・助成・助寵(再任))が交代して城主となりました。戊辰戦争では飯山藩は混乱を極め、当初は新政府方に与しようとしていましたが旧幕府軍(衝鋒隊)約500名が越後から飯山に侵攻すると一応協力的な態度を示し城下に引き入れた為、新政府軍が飯山藩を旧幕府軍として見なし飯山に侵攻し所謂飯山戦争が勃発、城下は戦禍に塗れ多くを焼失しています。戦後は新政府軍に属しし北陸戦争や会津戦争に従軍しています。
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