飯山市・正受庵(本堂)

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【 概 要 】−小畝山正受庵の創建は寛文6年(1666)、道鏡慧端(松代城の城主真田信之と妾とされる李雪尼の子供として、寛永19年:1642年で飯山城で出生、江戸麻布東北庵の至道無難に師事)が飯山藩主松平忠倶の協力を得て小庵を設けたのが始まりとされます。寺号は師である至道無難から賜った「正受」の扁額に因み正受庵と名付けられました。その後、忠倶から寺院としての昇格と伽藍の整備、寺領200石を寄進の打診がありましたが、「私は修行の身であるから大衣、上衣、中衣の3つの衣と1つの鉢以上は要りません。ましては、民から徴収した年貢を私用で使うのは以ての外です。」と断りました。さらに慧端の名声が高まると水戸藩主徳川光圀からも2度の召還の打診がありましたが、それも断り、享保6年(1721)80歳で死去するまで正受庵に留まり生涯一庵主で通し何時しか臨済宗中興の祖と呼ばれるまでになりました。正受庵は慧端が寺領の拒否をした事が引き継がれ、さらに修行道場的な役割があった為、檀家もおらず財政的には常に逼迫し、さらに文政3年(1820)に五世東瞑が退去させられると無住寺になる時期が長くなり衰微しました。弘化4年(1847)の善光寺大地震により大きな被害を受けると慧端の旧跡ということで本堂は逸早く再建されました。明治時代に入ると廃仏毀釈運動などもあり明治6年(1873)に無住で檀家がいなかった事から正受庵は廃庵となり荒廃が進みましたが山岡鉄舟・高橋泥舟らが尽力し明治17年(1884)に妙心寺直末として再興されました。その後も両者を中心に寺宝の収集や浄財の寄付などを募り昭和3年(1928)に本堂の修築と庫裏の新築が行われ念願が成就しました。宗派:臨済宗。本尊:十一面観音。

正受庵(飯山市):周辺の見所

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