長野県・千曲市・稲荷山宿

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【 概 要 】−稲荷山宿(長野県千曲市)は戦略的な要衝の地で、戦国時代には上杉景勝(新潟県上越市春日山城の城主)によって稲荷山城が築かれ、その城下町として町割りされ伝馬制度や定期市も構築されたと推定されています。稲荷山城には家臣である保科佐左衛門、小田切備前守、須崎彦兵衛等が留守役(城番)として配されていましたが慶長3年(1598)に景勝が会津黒川城(福島県会津若松市)に移封に伴い廃城となっています(正式な廃城は元和元年:1615年に発令された一国一城令後とも)。ただし、稲荷山宿は交通の要衝としての位置づけは変わらず町割りが維持された思われます(水路は水堀跡、枡形などが見られます)。江戸時代に入ると、中山道の洗馬宿(長野県塩尻市)と北国街道の丹波島宿(長野県長野市)を結ぶ善光寺西街道が開削させると、稲荷山宿はその宿場町となり、さらに稲荷山宿が起点となり飯山宿(長野県飯山市)を結ぶ谷街道も開削された為、多くの物資と人が往来する中心的な役割を持つ町として発展しました。本陣は代々松本家が担い、屋敷は稲荷山城の本丸跡地に設けらた代官所を引き継ぎ、冠木門は城の裏門を移築したものと伝えられています。江戸時代中期になると一般庶民にも行楽思考が高まり、全国から善光寺詣での為に多くの人々が善光寺西街道を利用した為、稲荷山宿の利用も増え、江戸時代後期以降は繭や生糸の集散場として飛躍的発展するようになり明治時代にかけて北信濃最大の商業都市として大きく栄えました。現在でも良好な町並みが残され国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

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