長野県・塩尻市・奈良井宿

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【 概 要 】−奈良井宿(長野県塩尻市)は戦国時代の天文2年(1533)に当時の木曽家当主である木曽義在によって宿場町として整備された町です。木曽義在は木曽家の基礎を確立した人物の一人で木曽谷の開発に尽力し領内の街道整備に伴い奈良井宿も整備されたと思われます。その後、武田信玄が木曽家を屈服させると、永禄11年(1568)には現在の木曽路(中山道)の経路に伝馬制を確立し奈良井宿も伝馬に指定されています。天正年間に前半頃には出生不明の奈良井氏により奈良井城が築かれると、城下町として再整備され、鎮神社の現在地遷座や八幡神社の創建などが行われています。背後に控える鳥居峠は難所であると共に木曽氏の最終防衛線だった為、天正10年(1582)に木曽氏が武田家から離反した際には両軍が激突し奈良井宿も大きな被害を受けています。慶長5年(1600)の関ケ原の戦いの際には徳川秀忠(徳川家康の3男)が率いる徳川軍主力が中山道を進軍した際、奈良井宿の法然寺(浄土宗)を本陣(陣屋)に定められています。江戸時代に入ると中山道が開削され、奈良井宿も正式に宿場町に定められ、本陣や脇本陣、問屋場などが設けられました。奈良井宿には木曽路の他の宿場町と比べると決して旅籠は多くなかったものの、木曽産の木材を利用した工芸品を制作する数多く職人達が住まうようになり家屋の数では木曽路11宿の中では最大規模の宿場町として発展し「奈良井千軒」との異名がありました。明治時代以降は衰微しましたが、現在でも手塚家住宅(上問屋史料館:国指定重要文化財)や中村邸(塩尻市指定文化財)、原家住宅(徳利屋:塩尻市指定文化財)などの良好な町家建築が軒を連ねる町並みが残され、昭和53年(1878)に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

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