長野県・妻籠宿・脇本陣奥谷

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【 概 要 】−林家(奥谷は屋号)は中世から当地を支配した木曽家の家臣の1人でしたが、木曽義昌が徳川家康に従い上総国へ移封した際、随行せず木曽谷の地に土着しました。その後、木曽家の旧重臣だった山村家に従い慶長5年(1600)の関が原の戦いでは徳川秀忠(後の2代将軍)の道案内役として手助けした功により中山道の宿場町である妻籠宿の脇本陣の役職を担うようになりました。脇本陣は本陣に次ぐ格式で、参勤交代で複数の大名が同時に妻籠宿を利用した場合本陣だけではまかないきれない場合利用されました。その為、本陣同様式台付の玄関や上段の間まど建物も格式が高いものが要求され、宿場の中でも実力者や有力者がその任を担いました。林家(奥谷)は江戸時代中期頃から酒造業を行い妻籠宿随一の豪商となった事で度々庄屋を勤める事となり天保12年(1841)以降は林家が庄屋となり、江戸時代末期には皇女和宮が明治13年には明治天皇が林家(奥谷)を御小休所として利用しました。又、島崎藤村の初恋の人「おゆふ(馬籠宿大黒屋の娘)」の嫁ぎ先で藤村の作品の中の「初恋」のモデルになっています。現在の主屋は明治12年(1879)に建てられた木造2階(1部3階)、切妻、桟瓦葺、平入りの建物で明治10年(1877)まで使用出来なかった木曽檜を採用した豪勢な造りで当時の林家の隆盛が偲ばれます。脇本陣奥谷は平成13年(2001)国指定重要文化財に指定され、現在は南木曽町博物館として生活道具、皇女和宮よりの拝領品などが展示されています。

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