新潟県・阿賀野市・長楽寺

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【 概 要 】−長楽寺が何時頃に成立したのかは判りませんが、文安3年(1447)に華報寺を中興した大庵梵守禅師が真言宗から曹洞宗の寺院に改宗開山したとされます。その後は白河荘の地頭として当地に赴任した大見家の一族が水原城を築き支配すると水原氏を名乗り、長楽寺を菩提寺として庇護しました。戦国時代に入ると、新発田城に城主新発田因幡守重家が恩賞を巡り春日山城の城主上杉景勝と対立、当時の当主水原満家は景勝方に与して奮戦するも討死し水原城は落城、長楽寺も兵火により大きな被害があったと思われます。満家の死去により血縁上の水原家は滅亡しましたが、景勝の命により大関弥七が水原家の名跡を継ぎ水原親憲に名前を改め、長楽寺を再興しています。慶長3年(1598)に景勝が会津鶴ヶ城(福島県会津若松市)に移封になると、水原親憲も従い当地を跡にします。長楽寺は庇護者を失いますが、江戸時代に入ると水原城跡地に幕府の水原代官所が設けられた為、今度は水原代官の菩提寺となり庇護されます。境内には水原代官所関係者の墓碑が複数建立されており阿賀野市指定文化財に指定されています。又、本尊の木造阿弥陀如来坐像は数度の火災にも関わらず奇跡的に焼失を免れ新潟県指定文化財に指定されています。本堂は寄棟、桟瓦葺、平入、桁行9間、正面1間向拝付、外壁は真壁造り、白漆喰仕上げ、腰壁は下見板張り。観音堂は入母屋、桟瓦葺、平入、正面1間向拝付、外壁木部は朱塗り。境内には戊辰戦争での戦死者(会津藩:佐瀬長八・幕府軍:坂本平弥)の墓碑も建立されています。蒲原三十三観音霊場三十三番札所。

長楽寺(阿賀野市):周辺の見所

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