新潟県・五泉市・村松城

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【 概 要 】−村松城が何時頃から築かれていたのかは判りませんが、当地は古くからの交通の要衝だった事から戦国時代には上杉家により館程度の拠点が設けられていたと推定されています。周辺は菅名荘と呼ばれ、上杉家に与力として与した菅名与三や菅名綱輔が領主だった為、彼らが管理していたと思われます。特に会津領の領主芦名氏との領地境が近い事もあり緊張感のある地域でした。特に謙信が死去すると跡目争いである御舘の乱では芦名氏は上杉影虎方に与した為、村松城の詰め城と思われる雷城の城主丸田周防守も同調して行動したようです。この頃は村松一帯は丸田周防守が支配していた為、村松城の前身となる館も管理されていたと思われます。景勝が越後を掌握すると、丸田氏も許されますが、館の方には有力家臣である千坂摂津守が配されています。慶長3年(1598)に景勝が春日山城から会津鶴ヶ城(福島県会津若松市)に移封になると村上城(新潟県村上市:当時は本庄城)に入封した村上頼勝の支配下に置かれ元和4年(1618)に2代村上忠勝が御家騒動の為に改易になると堀直寄が村上藩(本城:村上城)に入封し堀家の支配下に入ります。寛永16年(1639)、直寄の2男である堀直時に安田領3万石を分知し安田藩が立藩、正保元年(1644)に跡を継いだ堀直吉が村松に本拠を移した事で村松藩が立藩します。直吉は戦国時代に上杉家によって利用された館跡を利用して陣屋を構え、藩庁、藩主居館を整備しました。嘉永3年(1850)、9代堀直央が幕府から城主格を認められた事を受け、村松陣屋を拡張整備し城郭としての体裁を順次整え、現在見られるような姿となりました。幕末の戊辰戦争では藩内が奥羽越列藩同盟側と新政府側に意見が対立し、混乱の中明治維新を迎えています。

村松城(五泉市):周辺の見所

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