新潟県・柏崎市・二田物部神社

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【 概 要 】−二田物部神社が何時頃から祀られているのかは不詳ですが、伝承にによる饒速日命の天祖降臨に従った二田天物部命は天香山命(弥彦神社の祭神)と共に天鳥船で高志国(越国:現在の福井県、石川県、富山県、新潟県の範囲)に来臨し磐舟里に至り、石地(現在の柏崎市西山町石地)で天香語山命と別れ、多岐佐加の二田を奉納された事からそこに定住したと伝えられています。実際は物部一族が当地を開発した際に祖神である二田天物部命を祀ったと推察されます。平安時代に成立した延喜式神名帳に式内社として記載された物部神社は当社の事とされ、弘仁6年(815)に、嵯峨天皇の勅命により編纂された古代氏族名鑑である「新撰姓氏録」に「二田物部、神饒速日命の天降之時従者、二田天物部之後成」と記載され、他に候補者が無い事などから比定されています。二田物部神社の鎮座地は亀岡山周辺を何度も遷座を繰り返し天仁元年(1108)にようやく現在地に遷座しています。二田天物部命は武神として信仰され、延暦14年(795)には坂上田村麻呂が参拝に訪れ大永6年(1526)には室町幕府第12代将軍足利義晴から社領3千5貫が寄進され、天正10年(1582)には春日山城(新潟県上越市)の城主上杉景勝が社領1千70石を寄進しています。中世以降は弥彦神社に次ぐ越後国二宮として格付けられ周辺の土豪や国人領主である新津景や中条藤資、豊島資義、千田憲次、色部昌長、本庄房長、黒川盛見、山吉政久、上杉定実などが戦勝祈願の起請文を奉納し往時の信仰の篤さが窺えます。慶長3年(1598)に上杉景勝が居城を春日山城から会津黒川城(福島県会津若松市)に遷り、慶長5年(1600)に関ヶ原の戦いで上杉家が西軍に加担すると、東軍に加担した新たな春日山城の城主堀秀治に反発し越後国各地で上杉遺民一揆が発生、二田物部神社の神官も一揆に参加した為、一揆が平定されると社領が没収され衰退します。慶長16年(1611)に越後に入封した松平忠輝(徳川家康6男)が社領50石を寄進した事で再興し、天領になった後の慶安元年(1648)には3代将軍徳川家光から社領50石の朱印状が発布され、歴代将軍もこれを追認しています。古くから神仏習合し、往時は数多くの仏堂などがありましたが、明治時代の神仏分離令を経て県社に列しています。

二田物部神社(柏崎市):周辺の見所

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