新潟県・見附市・不動院

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【 概 要 】−不動院は奈良時代に紀州日高郡日吉郷出身の浄蓮上人が開山し、征夷大将軍として当地に赴任していた坂上田村麻呂によって境内が整備されたと伝えられています。観音堂の本尊である千手観世音菩薩は、不動院が創建する以前に名僧行基によって製作されたものとされ不動院の歴史の深さが感じられます。不動院背後の小栗山は境内から北斗七星が明瞭に見る事が出来た事から七所山と呼ばれるようになり、守護神として熊野神が勧請されると神仏習合し、熊野七所権現として大きく発展しました。不動院の山内には12カ寺が境内を構えた事から「小栗山十二坊」の別称があり、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての遺物が数多く発見されています。不動院の秘仏である聖観世音菩薩立像(与助仏)も寺の従者だった与助が霊夢で観音菩薩の御告げありそれに従い山中から発見したと伝えられるもので、白鳳時代作、金銅仏、像高28.6cm、見附市指定文化財に指定されています。昭和20年(1945)には松根油採取中に偶然、経塚と思われる塚から様々な遺物が発見され、「小栗山不動院経塚出土品」として新潟県指定文化財に指定されています。戦国時代には春日山城の城主上杉謙信の帰依となり、山内にはさらに2カ寺が創建され寺運も隆盛し、天正2年(1574)に編纂された「安田領検地帳」には様々な寺院の存在が明らかで往時の繁栄が窺えます。慶長3年(1598)、謙信の跡を継いだ上杉景勝が春日山城(新潟県上越市)から会津黒川城(福島県会津若松市)に移封になると、不動院は庇護者を失い衰微しましたが、天和年間(1681〜1683年)に法印朝宣、憲勝が中興しています。江戸時代末期の戊辰戦争の際には小栗山(七所山)が新政府軍と奥羽越列藩同盟軍の攻防戦の舞台となり不動院は新政府軍の宿陣地として利用され、山頂には官軍の砲台、反対側の東山寺は米沢藩兵の宿陣地として利用されています。砲台の跡地には山田隆阿師により官軍方の山県有朋の歌碑(あだ守る砦のかがり影ふけて夏も身にしむ越の山風)建立が建立され、後に不動院の境内に遷されています。例祭で奉納される獅子舞・神楽舞は法印朝宣が中興した際に伝えたとされる伝統芸能で見附市指定無形民俗文化財に指定されています。越後三十三観音霊場第17番札所。

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