新潟県・長岡市・蔵王堂城

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【 概 要 】−当地(蔵王堂城の城跡)は古くは蔵王堂が建立され蔵王権現が祭られていましたが、南北朝時代の動乱の際、北朝方に与した中条氏により砦として整備され、正平7年(1352)には南朝方に与した風間信昭との戦場となっています。その後、刈羽郡と古志郡の領主で古志長尾家の祖とされる長尾景晴が入り、4代孝景が栖吉城に遷るまで蔵王堂城が古志長尾家の本城だったと思われます。戦国時代に入ると長尾景為の弟である長尾為重が蔵王堂城を城郭として整備し、以後、長尾家、上杉家関係者が城主として赴任しました。慶長3年(1598)、上杉景勝が居城だった春日山城から会津黒川城に移封となり越後を離れると、堀秀治が春日山城に30万石で入封、蔵王堂城は弟である堀親良を4万石(その内の1万石は重臣である近藤重勝に分与)を配し、与板城には堀直寄を2万石で配しました。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの際、堀家一族は東軍に与して行動した事から領地を安堵され、親良は蔵王堂藩を立藩、蔵王堂城を藩庁としたものの、2代目堀鶴千代は幼少で跡継ぎの無いまま病死した為に慶長11年(1606)に蔵王堂藩は廃藩となり、堀直寄が藩主を務めた坂戸藩に取り込まれました。慶長15年(1610)、堀家一族の中で御家騒動となり本藩である高田藩(当時は福島藩)が改易となり、堀直寄も5万石から1万石減じられ飯山藩4万石で移封となり、新たに高田藩主として赴任してきた松平忠輝の家臣山田隼人が蔵王堂城に配されました。しかし、元和2年(1616)忠輝は無許可で徳川家康の病床のある駿府城(静岡県静岡市)に赴いた事で改易となり、蔵王堂城には再び堀直寄が戻され8万石で蔵王堂藩を立藩します。蔵王堂城は古くから当地の中心でしたが、信濃川に隣接し度々水害を起し大きな被害があった事から、早くから長岡城(新潟県長岡市)の築城が開始されました。しかし、完成前の元和4年(1618)に堀直寄が村上城(新潟県村上市)に移封となり、新たに藩主として入封した牧野忠成の代に長岡城の工事が完了すると、藩庁を長岡城に遷し改めて長岡藩が立藩し蔵王堂城は廃城となっています。

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蔵王堂城(長岡市):周辺の見所

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