中山越は標高標高は320〜330m程の峠道で比較的、高低差も少ない多くの人達に利用されました。麓にある尿前宿は仙台藩から玉造五宿駅(岩出山宿・下宮宿・鍛冶谷沢宿・尿前宿・中山宿)に定めるなど重要視され口留番所となる「尿前の関」が設けられました(岩手の関→尿前境目→尿前番所と名称変更)。尿前の関は岩出山伊達家(岩出山要害)が管理し、関守は大崎氏の旧家臣で当地に帰農した遊佐氏が代々就任、約1760坪の敷地(東西44間×南北40間)には長屋門(桁行8間、梁間2間)、役宅(桁行17間、梁間11間)、土蔵(桁行4間、梁間3間)、板倉(桁行7間、梁間3間)など10棟の建物が軒を連ね厳重に人や物資の出入が管理され、元禄2年(1689)旧暦5月15日に奥の細道で門人河合増良と共に訪れた松尾芭蕉は、尿前の関は厳しく取り調べを受けたされます。中山越には尿前の関の他、芭蕉句碑、薬師神社、尿前坂、薬師坂、岩手の森、薬師堂跡、斎藤茂吉歌碑、内山伊右衛門の墓、小深沢、前田夕暮歌碑、大深沢、青面金剛童子碑、水子地蔵尊、遊佐大神碑、山神社、子育て地蔵尊、軽井沢、庚申碑、甘酒地蔵尊、三界萬霊碑などが点在しています。
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