奥州街道(青森県:蓑ケ坂・長坂・高山越)

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蓑ケ坂・長坂・高山

奥州街道
奥州街道は江戸日本橋から津軽半島の北端に近い三厩宿(青森県外ヶ浜町三厩)を結ぶ街道です。一般的には白河宿(福島県白河市)までを「奥州道中」、青森宿(青森県青森市)又は油川宿(青森県青森市)までを「仙台道」、それ以北を「松前道」又は「外が浜道」などと呼ばれていたようです。盛岡藩では藩主である三戸南部家の城郭だった三戸宿(青森県三戸町:代官所設置)と要衝だった五戸宿(青森県五戸町:代官所設置)、盛岡藩の支藩である七戸藩の藩庁が置かれた七戸城(青森県七戸町)の城下、尾去沢鉱山(秋田県鹿角市)の積み出し港で北前舟に寄港地だった野辺地宿(青森県野辺地町:代官所設置)を結ぶ街道として重要視され、仮想敵国の弘前藩の藩境には藩境塚が設けられ隣接する馬門宿(青森県野辺地町)には番所が設置されていました。弘前藩主の津軽家と盛岡藩主の南部家は因縁が絶えない家柄だった為、津軽家は参勤交代では奥州街道を回避し大間越街道や羽州街道を利用し、逆に松前藩は当初羽州街道を利用したものの、元禄5年(1692)に4代藩主松前矩廣が江戸から帰国の際に奥州街道を経由し、以後、奥州街道が参勤交代の経路として確立しています。


蓑ケ坂
古くから難所として知られ、名称である「蓑ケ坂」の由来には次ぎのような伝説が伝わっています。この峠道の頂上には雨の日になると決まって蓑と笠が置かれ、話を知らない人が誤って身に着けると神隠しにあうと云われました。その噂は盛岡城下にも広がった為、南部家の家臣の1人玉山昇が事の真相を探る為、武装して単身峠道を探りながら登っていくと頂上付近になり世にも恐ろしい姿をした妖怪が現れ昇に襲いかかりました。何とか撃退したものの家宝の槍を奪われ、棲家と思われる麓の沼に逃げられた為、昇は五戸代官所に助けを求め、再度身支度を整え数人の助っ人と共に、妖怪の逃げ込んだ沼に向かいました。思案の末、兎を餌に妖怪を引き上げるように策を練り実行すると、見事成功し、巨大化した大百足を退治する事が出来ました。しかし、昇の実家では不幸が続き大百足の祟りとして御蓮神社(祟りで死んだ昇の姪の名前)を創建し、大百足の紋を門に立て魔よけにしたと伝えられています。寛政11年(1799)には渋江長伯による「東遊奇勝」で享和2年(1802)には作者不明の「東案内記」で蓑ケ坂の事が記載され、嘉永5年(1852)には吉田松陰も東北遊学の際、この峠道を利用しています。又、明治9年(1876)と明治14年(1881)の明治天皇の東北行幸の際は急峻の為、馬車から降り馬で峠道を登った事から駕籠立場跡として史跡となっています。「駕籠立場の一里塚」は案内板によると「慶長9年(1604)春、幕府は大久保長安に命じ、江戸日本橋を元標とし、東海道、東山道(江戸より三戸などを経て津軽外ヶ浜に至る奥州街道のこと)に一里ごとに、一里塚を築造させた。この一里塚もこの時の築造とおもわれる。この街道は、永年にわたり勾配を緩くするため削られて、両一里塚とも道路より約6m近く高く位置している。」とあります。

長坂
長坂の麓は元々南部家の本拠があった地域で、居城である聖寿寺館(本八戸城:青森県三戸郡南部町小向字聖寿寺)や崇敬社だった本三戸八幡宮(南部家は信濃源氏の後裔とされ、源氏と同様八幡神が氏神として信仰された)、菩提寺だった三光寺(南部利康霊屋:国指定重要文化財・南部利直霊屋:青森県重宝)などが点在し、上記の3地区は平成16年(2004)に国指定史跡に指定されています。長坂はこれらの史跡を越えて約1.2キロの行程があります。

高山
高山は奥州街道の間の宿として設けられた浅水宿までの峠道で、高山峠の頂上は標高278m、道中には薬師塚や一里塚(1対)、牛立場坂、高山駕篭立場、雨宮坂、十和田山碑(嘉永6年:1853年建立)、明治天皇野立の記念碑、逆さ栗、水無坂、山の神、水梨清水、出刃洗いの滝、稲荷社などが点在しています。伝説によると平安時代、津軽地方に朝廷に応じない土豪がいた為、源頼義(河内源氏2代目棟梁)が討伐を家臣である安達某に命じました。安達は幼い娘を都に残したまま妻を連れ立って当地まで趣きましたが、奮戦むなしく討死しこの地に埋葬されました。妻は不憫に思い夫の墓守として当地に留まり10数年の年月が流れました。ある時、若い夫婦が現れ余りにも仲睦まじい上に妊娠していた為、自分が余りにも惨めで悲惨だった事から夫婦の寝込みを襲い何度も何度も出刃包丁を突き立て殺してしまいました。すると、その女の方は自分の娘で、生き別れた母を捜す為わざわざ当地まで出向いてきた事を知り、泣き疲れた後は精神が破綻し、鬼婆となって若い娘の旅人を見ると出刃包丁で襲うようになったと伝えらています。「出刃洗いの滝」や「逆さ栗」、「根姥大明神」などは鬼婆縁の史跡とされます。


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