羽州街道(矢立峠越)

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矢立峠

羽州街道
羽州街道羽州街道は奥州街道の脇街道の位置付けとされ、出羽国を縦断し奥州街道の桑折宿と油川宿を結んでいる街道です。初代弘前藩主となった津軽為信は南部家の一族である久慈家から津軽の国人領主大浦家に養子に入った人物とされます。本来なら、南部家の家臣たる立場で、南部家の津軽地方の押さえとして考えられていましたが、為信は野心家であった事から、南部家からの独立を画策し元亀2年(1571)には南部家の一族だった石川高信が守る石川城を攻め滅ぼし、天正6年(1578)には南部家の客将だった 北畠具家(顕村)が守る浪岡城を攻め滅ぼし、羽州街道天正13年(1585)には南部家の重臣である奥瀬氏が守る油川城を攻略し津軽3郡の統一を果たしました。特に盛岡藩祖となった南部信直は石川高信の子供、初代藩主利直は孫にあたる事から津軽家を敵視し世情が安定するまでは津軽地方の侵攻を繰り返しています。江戸時代に入り参勤制度が制定されると津軽家は敵対する南部領を縦断する奥州街道を避け大間越街道から同じ親豊臣派の大名だった佐竹領を縦断し江戸に至る経路を選択しています。寛文2年(1662)以降、津軽家の参勤交代は羽州街道に変更され、それに先駆け4代藩主津軽信正により碇ヶ関関所と碇ヶ関宿が整備されました。碇ヶ関宿は羽州街道と南部領を結ぶ津軽街道との分岐点にも近かった為、碇ヶ関関所は弘前城の出城的な要素が強く、土塁や空堀、木柵などが設けられ、数多くの武具が備品として整備されていました。


矢立峠
矢立峠は標高258mの峠道で出羽国と津軽(陸奥国)との国境に位置しています。名称の由来となった矢立杉は元慶2年(878)に国境界線を決める為に矢を射って突き刺さった杉の大木を目印にしたとも、元慶4年(880)、大館城主が津軽に侵攻し戦勝、凱旋で戻った際、峠際の大杉の根元に弓と矢を納めたとも、津軽の領主と比内の領主が対立していた際、大杉に矢を放ちその具合によって勝敗を占ったとも云われています。その後も矢立杉が国境の境界線として保護され元禄年間(1688〜1704)に朽ちた跡も柵を設け、宝暦6年(1756)には朽ちた株跡に若杉を植えています(2代目の矢立杉も太平洋戦争で供出し伐採されています)。寛文2年(1662)に羽州街道が津軽家の参勤交代の経路として指定されると、矢立峠には津軽家の桁行20間、梁間6間の休息所が設けられ、藩主が江戸から到着時には郡奉行や、碇ヶ関代官、御茶水上奉行などが当地まで出迎えたと伝えられています。又、天明5年(1785)には菅江真澄(遊覧記)が、天明7年(1787)には古川古松軒(東遊雑記)が、享和2年(1802)には伊能忠敬(沿海日記)が、嘉永3年(1850)には松浦武四郎(東鼻沿海日記)が、嘉永5年(1852)には吉田松陰(東北遊日記)が、明治11年(1878)にはイザベラバード(日本奥地紀行)が明治14年(1881)には明治天皇が訪れています。特にイザベラ・バード(イギリス人女性紀行家)は「日本で今まで見たどの峠よりも、私はこの峠を褒め称えたい」と絶賛しています。又、文政4年(1821)には所謂「相馬大作事件」の舞台にもなり、津軽家と南部家の積年の恨みから盛岡藩士である下斗米秀之進が相馬大作に名を変えて密かに武器弾薬を久保田藩領に持ち込み矢立峠付近に待ち伏せ、参勤交代で通過する弘前藩主津軽寧親の暗殺未遂事件が起きました。事前に計画が露呈した為、寧親は大間越街道を利用して弘前城に帰城した為事なきを得ましたが、事件そのものは「みちのく忠臣蔵」と揶揄され、後に講談や小説などの題材として何度も取り上げられました。現在でも矢立峠周辺には旧羽州街道の景観が良く残されており茶屋峠跡や一里塚跡、旧国境・矢立杉跡、御休所(茶亭跡)、矢立橋跡、薬師堂などの史跡が点在しています。

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